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愚者か賢者か。 [沖縄の大っきな輪。]

「やりたい」事と「やるべき」事は必ずしも一致しない。

社会に出てからはそれが顕著だ。
皆さんもそう感じますか?


学生時代は「やるべき」事といえばせいぜい、宿題やテストくらいだった。

しかし今は仕事は勿論のこと、納税やら投票やらその他諸々、やるべき事、やらなければならない事が人生のほとんどを占めている。
私人である時間より、公人としている時間の方が圧倒的に長くなった。


その切り替えがパチパチ出来る人もいるだろうが、公人としての自分が私人としての自分をどんどん侵食していく。
そしていつしか…。




「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」
ドイツの名宰相、オットー・ビスマルクの言葉とされる格言。



俺は愚者だ。

周りの意見や、他人の経験、大先輩の出した答えに耳を貸さず、自らの経験のみで人生をつむぎだそうとしている。
自らが体験しなければ理解できない。

しかしその8割から9割は先人の言う通り、歴史が示す通り。
そして結局、歴史上の人物の格言やことわざに対して「~とはよく言ったものだ」なんて偉そうな事を言うことになるんだ。







歴史は示していた。
今はもう一人も残ってはいない、昔はたくさんいたと伝え聞く内地(県外)からきた人材。
一挙に大量にやめてしまったという管理職を含めたたくさんの有能な人材。

今残っているのは高卒の世間知らずなガキどもと繰り上がり当選の不適格な管理職たち。

歴史は示していた。
県外の人間にはここは合わない。
どれだけ有能な人材であっても、がんばるだけ無駄。


いや、俺は彼らとは違う。
俺なら大丈夫。
有能とはいえないけれど忍耐力だけは自信がある、と。

そう思っていたけど結局歴史は繰り返す。
俺は経験から学ぶ愚者だった。

歴史から学ぶべきだった。
ま、そういう意味では俺はやはり無能だった。
よっぽどうぬぼれていたようだ。




俺が公人として、言いたくない事を言って、やりたくない事もして、したくもない選択をして心を痛めている中、彼らといったら仕事中においても私人として遊び半分でおしゃべりするついでに業務をこなし、その業務のおまけのような感じでお客様の対応をする。

馬鹿らしくなってきた。



民主主義のこの国において多数決の力は絶大だ。
この状況を打開するには数の力に対抗できるほどの権力を、俺自身が身につけなければならない。

そうなれば全員クビにするのだけど、その権利はないしその権利を手に入れようとも思わない。
なら、取るべき選択は一つだけ。


志々雄真実よろしく、所詮この世は弱肉強食。
弱ければ死に、強ければ生きる。
人は正しさなんかには興味は無く、強いもの、すなわち「力」に惹かれ従う。

俺には力が無かった。
今回の場合、数の力に俺は為す術なく敗れ去った、そういう事だ。

はぁ、アホくさ。

俺は私人(詩人)に戻ります。
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