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あのボタン。 [独り言]

※少しセンシティブな内容が含まれている可能性があります。時間・場所を選んで読み進めた方がいいかもしれません。

最近「死」と言うものを考えさせられることが多い。



木曜日、母方の祖母の葬儀に行って来た。
通夜には間に合わなかったが、葬儀には参加できた。
父方の祖母が亡くなった時はどちらにも参加できなかったので、今回葬儀だけにでも参加できてよかった。

この度、物心ついてから初めての葬儀だと思う。
喪服を着て、焼香をあげて、棺を持って、火葬場に持って行って、燃やす。
淡々と物事が進んでいく。。。


正直、葬儀の最中はあまりピンと来ていなかった。
しかし葬儀が終わり、改めて棺の蓋が開けられ、中を見た時、初めて実感をした。
そこにあるのは紛れもない「死」そのもの。

格好的には、目をつぶって横たわっているだけだが、明らかに寝ているだけではないのは一目瞭然だった。全く生気が感じられない。言い方は非常に悪いが、置物のような、陶器の人形ような、そんな感じ。

イベント的には祭壇(?)にたくさん飾られていた花々を切り取って棺いっぱいに入れるというものだったが、あまりにも生々しすぎて暫く近寄れなかった。当たり前だが、気持ちのいいものでは無かった。そういうものなのかも知れないが、ちょっと理解できなかった。寄ってたかって遺体を弄ぶなよ、とまで思ってしまった。

何というか、葬儀は決して死者の為ではなく、生きている遺された人々の為にあるんだな、と思った。

蓋が閉じた後は、棺をみんなで持って霊柩車まで運び、バスに乗って火葬場に向かった。
そこでまた棺の蓋が開けられ、最後の別れをし、最新鋭の(と言うかモダンな)火葬装置に棺が入れられ見えなくなった。

点火のボタンは親族に委ねられた。
喪主であるおじさん(母の兄)が、涙ながらにやむなく押していたが、絶対あのボタンだけは押したくないと思った。

いつまでもそこにいて欲しい、非常に近しい人間を自らの手で燃やす。なんて残酷なサービスなのだろう。他人の手で燃やされるよりはむしろ良いのだろうか?

ちょっとよく分からない。

火葬が終わるまでの間、みんなで昼食をとり、いよいよ「収骨」の時が来た。
その光景はあまり思い出したくはない。人間だったものが、物質に変わる。焦げ臭い匂いと僅かに残った炭化した骨。100歳近くて大往生だったためか、原型はほぼ留めてはいなかったが、生前に右大腿骨を骨折し、そこに手術で埋め込まれた金属の棒だけがその面影を残していた。

竹と木の長さの違う箸を使って、足元から頭の方へと順番に骨片を拾い上げていく。大きく残った骨は骨壺に入らないので、箸でつっついて砕いた。その感触はあまりにも軽く脆く、あの感触は忘れられるものではない。

喉仏の話、箸渡しの話、なるほどなぁというような事をお坊さんが話していたがあまり耳には入って来なかった。

その時考えていたのは、人間はいつか死ぬ。そして焼かれてこんなちっぽけな燃えカスになって親族に箸でつつかれる。人生とは一体何なんだろうかと。それが良い事なのか、悪い事なのか。私には判断が付かなかった。


まぁでも、そういう意味では終始冷静だった。
涙は出て来なかった。そうだとは常々思っていたが、「なんて心無い冷たい人間なんだ」と自分を嫌悪した。



大往生、自然老衰で人生を全うした祖母の場合、幸せだったんじゃなかろうかと思う。

早すぎる死は世の中に溢れている。




池袋サンシャイン60付近の交通事故
連日放送されているので、皆さんももちろんご存じだとは思う。
https://www.asahi.com/articles/ASM4N31YMM4NUTIL001.html

なんとも痛ましい事件でしょうか。
今日池袋に行く用事があったので、事件現場に赴き、私も献花し、子供用のお菓子とジュースをお供えして来ました。

https://www.sankei.com/affairs/news/190420/afr1904200016-n1.html
昨今、高齢者ドライバーが関わって起きた事故がよくニュースで取り上げられるようになって来ました。確かに老化による判断力低下で操作ミスが起こる危険性が上がるのは間違いでは無いと思うが、これは高齢者ドライバーだけにとどまらず、車を運転する全てのドライバーに起こり得るものであり、
「車は単なる便利な移動手段ではなく、簡単に他人や自分を殺す凶器になりえるし、あっという間に殺人者にしてしまう代物だ」という事を改めて思い出さなければならない。

そもそも法定速度・制限速度をきちんと守っているドライバーのほうが少ないだろうし、車道を走るべき自転車や原付バイクが安全に走行できない。果ては自転車や原付が邪魔だとのたまったり、平気で煽り運転したり、ながら運転したり、飲酒運転をする悪質ドライバーが後を絶たない。

高齢ドライバー云々の前に、自動車の交通マナーをもう一度見直すべきだし、今日、自分は人を轢き殺してしまうかも知れないと言うくらい緊張感を持って車を使用して欲しいものだ。

と言うかそもそも、通常使用時は最大でも70km以下しかスピードが出ないように車にリミッターを設ければ良いんじゃないだろうか?高速道路上だけリミッターが外れて70km以上出るように車を作れば良いんじゃないのと思う。なんでそうなっていないのだろうか?車を運転しない身からすると、なぜこれだけ交通事故が多いのに、スピード違反が多発してるのに、車自体をそもそもそう言う仕様にしないのか疑問だ。


兎にも角にも、今回たくさんの人が事故に巻き込まれ、小さな子供とその母親の命が失われた。
3歳と31歳あまりにも早すぎる死だ。親族はさぞいたたまれない思いだろう。


今回事故を起こした乗用車の運転手は逮捕されず、それゆえ上級国民だ何だと巷では騒がれているが、

87歳が3歳を殺す。

この構図だけで見ると、何ともいたたまれないと言うか、高齢化社会の暗部と言わざるを得ない。
当事者でない私には何も言う権利は無いが、その辺りは当事者が一番よくわかっているだろう。




これは最近のことでは無いと思うけど、早すぎる死、そして日本に蔓延る、「いじめ」や「自殺」、根強い差別の問題。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190419/k10011889021000.html


正直私にも後ろめたい過去があって、小学生の時に転校してきたブラジル人の兄弟を集団でいじめていた。

日本語でバカにするでは飽き足らず、変に頭の回るやつがポルトガル語でバカを意味する「ブーホ(Burro)」という単語を調べて来て、みんなで連呼していた。今思うと本当に酷い事をしたと思うし、今会える機会があれば土下座したいくらいだし、言えた義理では無いが、世界の何処かで生きていてくれる事を願っている。

異分子を排除しようとする動き。これは自分たちを守る上で欠かせない働きではあるが、もちろん場合によるし全て善ではない。日本において、国籍や人種、宗教に関して、ほぼアレルギー反応といいても良いくらいに過剰に反応しがちだ。違いに敏感すぎる。

日本の文化のせいでもあるし、教育のせいでもある。それによってこれまで日本が秩序を守って来られた部分も大きいと思うし、それがある意味で日本らしさでもあると思う。

しかし日本はもう鎖国などしていないし、外国からたくさん観光客が訪れていて、日本で生まれて外国にルーツを持つ人たちもそろそろ2世3世が誕生しつつある現代において、もうその「悪い意味での陰湿な日本らしさ」は捨てるべき、と言うか改善すべきだ。

良い意味の日本らしさを多分に残しつつ、悪い部分を改善していけるはずだ。

体罰問題やスポーツ界における上下関係やパワハラに代表される「躾と称した調教や洗脳まがいの教育」一人一人の人間性や考え方の違いや多様性を認めない押しつけ教育」、その延長上にある肩書社会、性差別、年齢差別、人種差別、障害者差別。日本は完全に遅れをとっている。

これらは即刻改善すべきだし、これを改善したところで大和魂は失われないし、日本らしさは損なわれない。世界で一番住み易い国になれる素質はある。もう一度、「優しくて思いやりがあって親切で友好的で心や度量の広い理想の日本国民像」に今一度立ち戻ろうではないか。


話は戻るが、「いじめ」は「周りと一緒でないといけない」「普通でないといけない」「空気を読まなくちゃいけない」そう言う無言の圧力に晒された子供たちのストレスの捌け口なのではないか。

前提条件を「みんな同じが普通」から「人それぞれ違って当たり前」に戻さないと、0にはならないかも知れないが、きっといじめは減らないし、これからも被害者は増えていくだろう。

きっと各家庭レベルで改善していかないといけないだろう。


それにしても教師が「うちのクラスにはいじめをする奴はいない」って取り合おうともしないって、そんなことがあって良いのだろうか。まぁ自分のクラスの生徒を信じているとも取れるし、教師には教師の事情があるのだろうけど、ちょっとにわかには信じられない。

個人的には教師になるのは多少の社会経験が必要なんじゃないかと思う。大学卒業して社会経験も無しに教師になるって言うのはよく考えると怖いよね。最低でも5年、いや10年以上は社会で揉まれていないと、社会に通用する人材は育てられないでしょ。


兎にも角にも、また早すぎる死、ましてや自殺で先立たれたら、親・親族からしたらやるせないよね。






池袋での交通事故、そしてハーフの女の子の自死。
もちろん彼らの通夜・葬儀は執り行われ、最終的にはあのボタンが押され、骨がだけが残される。

こんな悲しいことがあって良いのか。
あのボタンは誰が押したのか。そのボタンを押した人物の心境は計り知れないものがあるだろう。



自分自身の死に方、死に様については以前考えたことがある(2012/10/13 “満足する死とはなんだ?”)が、遺族側の立場で考えたことはあまりなかった。


私もいつか骨になる。
誰かにあのボタンを押させることになる。
自分の親にだけは押させないようにしようと思った。
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そのこ

あたしもそのボタンは押したくないですがJ●のボタンは迷わず押したいです。(笑)
by そのこ (2019-04-22 15:51) 

おかずのり

迷い無く滅却ですねwww
by おかずのり (2019-05-06 14:08) 

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