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ブログ移転のお知らせ。 [あいさつ]

皆様明けましておめでとうございます!!!

この度、2020年を心新たに生きていく為に、アメーバブログに移転することにしました。
宜しければ、そちらの方でまたよろしくお願いします。

おかずのり。
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周りを変えるより、自分を変える。 [独り言]

ご無沙汰しております。おかずのりです。

日本に帰ってきて早1年が経とうとしております。ヨーロッパが恋しいような、日本はやっぱり落ち着くような、そんな微妙な心境であります。

年齢のせいか、今のちょうどいい環境のせいか、今は「何処かまた新しい土地に旅立ちたい」と言うような欲求は身を潜めています。



数年前まではあんなにいろんなところに行きたくて仕方なかったのにね。
もう少し経つとまた欲求が現れてくるのだろうか。



今、第二の青春が終わろうとしている。

生まれてから高校卒業まで18年、第一の青春を地元の福井県で過ごし、それから富山、東京、北海道、沖縄、ロンドン、長野、東京と、34歳現在まで、実に16年もの間、約人生の半分を使って様々な土地に出向いて、いろんな人に出会って、自分の居場所を探してきたけど、結局見つからなかった。



全てを環境のせいにして、場所のせいにして、外部のせいにしてきた。
何処で何をしていようが、きちんと自分が自分と向き合わなければ、決して解決しない問題だった。

問題は常に、自分の内側にあった。


場所や環境を変えることでは解決できなかったけど、この答えにたどり着くには必要な旅だったと思う。いろんなことにチャレンジして、いろんなところに行って、いろんな人たちに出会って、たくさんの価値観に触れて、なんだか一周して、また同じところに戻ってきたような気がする。


しかし、全てずっと同じではない。
常に変化していく。
全てが時代とともに変化していく。
常に自分をよりよくUpdateしていかないといけない。

変えられるのは自分自身だけ。
他人を変えようとしても無理。他人を批評して否定しても、何も意味がない。
ただ争いが起きるだけ。


変えると言っても、妥協して合わせるんじゃなくて、前向きな変化。

過去も未来もなく、人生とは今この瞬間という「点」の連続なので、今この瞬間に、いかに最高の点を打つことができるかが大事。


そうだ。その通り。
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信念。 [あいさつ]

令和を迎え、10連休に渡るGWもとうとう終わりました。

そしてとうとうレベルが34になりました。
しかし、レベルばっかり上がって、使えるスキルやアビリティは全く身に付けられていません。

ただまぁ、最早年齢などただの記号。
確かに、あちこち身体にガタはきてはいるが、単に物理的な身体の経年を示すだけの物だ。

いくつになっても自分は自分だ。
それは年齢によって左右されるものではない。

日本では年齢によって区別される事が多い。ときにはそれが差別にもなる。
でも、年齢が上だからといって偉いなんて事はないし、若いからといって未熟と言う事はない。

重要なのは知識と経験。
必要なのはそれらによってより精度の高い答え結果が出せるかどうかだ。
長く生きてる分、それが蓄えられている可能性が高いというだけだ。


以前、「年下の上司なんて嫌じゃないか?」と聞かれた事がある。
そんなことはない。その人がその分野において誰よりも知識を持ち経験があって良い結果が出せるからこそ、その地位にいるのだ。年齢など関係はない。嫌なわけはなく、むしろ当然と言わざるを得ない。それによって自分も成長できる。嬉しいくらいだ。

年功序列の日本的に考えれば、年下の上司なんて屈辱的なことのように思えるが、年齢が高いからって理由だけで上に居座る無脳の方がよっぽど嫌じゃないか。上に行けば行くほど能力が高くないとおかしい。


年齢が高いと言う事は、漠然と「それだけ人生経験が豊富な可能性が高い」と言うだけだ。それ以上でも以下でもない。しかし人生経験と能力は比例しない。



具体的に言えば、野球やフィギュアスケートなど、若くして頭角を表すスポーツの分野では、10代の子供たちに34歳の私は手も足も出ない。
10年以上バスケットボールという競技をやってきたが、それだけでオリンピックに出られるわけもなく、NBAの選手になれるわけではない。そこには年齢など関係なく、より勝利に近い人間が上に立つのは当たり前のことだ。

それはスポーツの世界だけの話ではなく、すべての分野において当てはまる。

単純に年上に敬意を払え、と言うのはナンセンス。(単純に礼儀としてという意味では別)
特に昨今は親と同じ職業に就くことなど稀だし、周りにいる年上の人たちが自分の欲しい情報や経験、知識を備えているとは言い難い。




そもそも日本では20歳を超えればみんな「大人」と見なされる。
20歳以上の人間で年齢が云々と言っている人間はただのアホだ。
年齢で人は判断できない。

未だに上下関係にこだわる愚か者が多い。
上か下かではない。単純に、有るか無いかだ。






ところで、今ひょんな事から「踊る大捜査線」にはまっている。
TVドラマシリーズから年末特番、映画シリーズ、スピンオフ。時系列に沿って順番に見てる。

今見ても変わらず面白い。
テレビが最も遊び心に溢れていて面白かった時代の傑作。


キャラクターひとりひとりがとても魅力的。
別にひとりひとり深く掘り下げているわけでもないのに、それぞれの魅力が伝わってくる。演技のことは良く知らないけど、これが「役に命を吹き込む」ということなんだなって思う。ドキュメンタリーを見ているようなそんな気にもなる。役者さんが単に好き勝手やってるだけなのかも知れないがwww

その魅力については簡単には書き表せられないけれど、ここで言いたいのは信念の話。


主人公の青島俊作は信念を持っている。

ここで言う「信念」とは「正しいと信じる自分の考え」とか「固く信じて疑わない心。行動の基礎となる態度」と言う意味だ。

青島は問題児だ。よく規則を破る。
ルールを守りたい守らせたい側からすれば迷惑極まりない存在だ。しかしだからこそ魅力的に映る。それはルールやしがらみに雁字搦めな日本に育ったからじゃないだろうか。少なくとも自分はそうだった。


まぁ結局はフィクションだし、物語の都合上「青島が正しかった」で終わることが多いからでもあるが。現実はそう甘くはない。それを差し引いてもやはり魅力的に映るのはやはり「信念」があるからだろう。一応ちゃんと処分は受けているし。


劇中よく耳にする「ルールは破るためにある」と言う言葉。
正しくは、「自らの信念が、一般的な常識やルールにそぐわない時がある」と言うことが言いたいのだろう。
決して「ルールを破ること」を推奨しているわけではないはず。


自らのポリシーに従う。
今ポリシーやルールを扱う仕事をしているので内心複雑な気分だが、確かにそう言うこともあるよな。

今この瞬間のためにルールを破ってでも前に進む青島か。
将来より良いルールを構築するために今を捨てて自分を殺して我慢する室井か。

世の中には両方必要だと思うけど、そこにはやはり信念がないとだめだ。


結局何が言いたいかと言うと、人生を生きる上では、それなりにベクトルを持って生きた方がいいなと言う話だ。
信念とか目標とか夢とかって言葉で言い表されるもの。
それを見つけないと。

反対方向のベクトルを持つものには嫌われるだろうが、どっちつかずよりはずっと良い。それに同方向のベクトルを持つ者同士は惹かれあう。
そのベクトルにブレがなければ、仮に別方向のベクトルを持つ者同士でも信頼し合える。


多分私には今、このベクトル力、信念が足りない。
とりあえずは、信念を手に入れる!!と言う信念を持ってこの令和という時代を生き抜いていこうとそう思いました。
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あのボタン。 [独り言]

※少しセンシティブな内容が含まれている可能性があります。時間・場所を選んで読み進めた方がいいかもしれません。

続き


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Best friend? [独り言]

先日会社で「男女の友情は成立するか」という、よくある話になった。

ぼくの答えは「NO」
他の誰かに異性のそう言う関係の人が存在するのは否定はしないが、少なくともぼくには出来ないと言う意味でNOだった。


sexistと言われても仕方ないと思うけど、ぼくにとって、女性は女性だ。
女性である以上、性欲の対象になり得る。
そんなことより何よりも、親友とまで呼べるくらいの信頼の置ける関係性の人が異性に居るなら、何故その人と付き合わない?何故その人と結婚しないのだろうかと考えてしまう。

「恋人」と「親友」は違う、と言われてしまいそうだが、じゃあその違いは何だ?

男と女。
そういう風に単純にきっぱりと分けることができないこの時代においてはもはや「古い考え方」なのかも知れないが、強いて言えば、親族以外の他人の中で、一番親しい間柄の同性を「親友」、一番親しい間柄の異性を「恋人」と呼ぶのだとぼくは考えている。

今の時代に合わせるなら、親族以外の他人の中で、一番親しい間柄の性的嗜好の対象外の人を「親友」、一番親しい間柄の性的嗜好の対象の人を「恋人」と呼ぶわけだ。バイセクシャルの人やクィアの人たちについては、ぼくにはわからん。


そもそも「親友」とはなんだ?
なんでも話せて、その人の為なら何でもできて、ぼくの為なら何でもしてくれる人?
それは「恋人」でもいいのでは?

ぼくは基本的に「面倒くさがり」なので、「小学生の頃の友達」とか「高校の頃の友達」とか「会社の同僚」とかいちいちカテゴリ分けして、別々に時間作って会ったりするのが面倒で、全部一緒くたにしたがるし、できないならそもそも遊ばないと言う選択肢を取りがち。

もし「親友」と「恋人」が別々に存在していたら、どっちに時間を使っていいかわからなくなるので、願わくば「親友」が「恋人」だったら完璧だなと思う今日この頃です。

もし異性が「親友」だとしたら「恋人」がいた場合、いらぬ心配をかけないとも限らない。
それにこちらが「親友」だと思っていても、必ずしも相手がそう思っていなくて傷付けてしまう場合もあるかも知れない。その逆パターンは想像するだけでもツライ。
以上の理由からぼくは異性の親友は作らない。つまり「男女の友情は成立しない。」と結論付ける。



根本的に、「親友」の存在って必要なんだろうか?

ぼくは他人と深い関係を構築するのが苦手だ。
それはなぜかと考えてみた。

そして思い当たったのは家族との関係性。

親や兄弟というのは、生まれて初めて出会う他人だ。
本来はそんな彼らとのやり取りによって、他人との距離の取り方や、深い関係の作り方を学んで行くのだろう。

これはぼくの想像の域を出ないが、親族親兄弟を含めて自分以外を全て友達に置き換えるなら、親兄弟は「親友」の域に入るだろう。でもぼくの場合、彼らはその域には入っていない。

これが根本的な原因だと思われる。
ぼくは多分、それに失敗したのだ。主従関係しか学ばなかった。
主と従、それ以上でも以下でもなかった。

ぼくにとって基本的に他人との関係構築の根幹をなすのは主従関係。
主になるか、従になるか。
何れにせよ、必ずどこかに主従関係を作らなければ関係を保てない。

主従関係を作れなければ、次第に関係は希薄になり自然消滅する。



とはいえそんなぼくにも例外的に「友達」はいる。
例え何年、何十年会わなくたって彼らは変わらず「友達」でいてくれている。
それはもう「親友」と呼んで差し支えないのではないか。

つまりぼくとって友達には「親友」しか存在しないのだ。
無論、その中に女の人はいない。



主従関係しか築けず、愛し方も愛され方も知らないぼくは、毎日シックハックしながらも、今は楽しく生きている。
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Steering your life by yourself. [独り言]

再び東京で暮らし始めて1ヶ月が経ちました。
同じく新しい仕事を初めて1ヶ月経ちました。
It's been 1 month since I started to live in Tokyo and work for new job.

今のところ、悪くないって感じですかね。
家も家賃は高いけど、まぁ東京だし、東京ドームの近くだし、こんなもんでしょ。
It's not bad so far. The rent is expensive though. I know it's because Tokyo, which is the capital of Japan, and I live very central of it.

仕事は「こんなホワイト企業あって良いのか」って感じ。
デスクワークはやった事ないけど、こんなもんなの?音楽聞きながら、お菓子食べながら、お喋りしながら、座ってるだけで(もちろん仕事はしてるけど)、1日が終わる。
残業なんて一切無いし。なんてこった。仕事モードに一切ならない。
My job is really good. I just work on PC, sitting on a chair, listenning to music, having snacks and talking with my colleagues all day. No overtime and just go straight home after work. What the fuck is this? I never feel that I am working like I did before.

これでお金貰えるなんて信じられません。
やる事やってれば、過剰に頑張る必要なんて無い。
競う必要も無いし、周りの目に脅えて無駄に頑張る必要もない。
昼休憩がちゃんと一時間貰える、と言うかみんなでUNOとかしてて一時間で終わった試しが無い笑
I can't believe that I can get money just doing like that. I don't need to push myself too hard. I don't have to compete with the others. I never be frightened in the eyes of my colleagues and bosses, any more. They are very friendly and we do UNO at the lunch break everyday. The funny thing is that we often go over an hour break.


今流行りの「異世界に転生した」みたいな感じです。
日本人が好きな「無駄」が徹底的に排除されて合理化されている。外資って凄い。
I feel like I'm in another world I never know. I like it. It wouldn't happen if I belonged to general Japanese company. How fantastic foreign companies are.


なんとか上手くやっていけそうな気がします。
親や学校の先生達に教わった時代遅れの方法では絶対辿り着けなかったところに僕は立っている。初めて自分の人生に手応えを感じている。これは俺の物語だ。もう誰にも奪わせはしない。
I think it's going to be better and better. I wouldn't get to this place by the old way that my parents and teachers taught me. We have to keep changing and challenging to get to right place. Finally, I got a strong confidence to steer my life. This is my story. I will never let anyone take it over from me again. Never.
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Unknowing [独り言]

知らない事は気にしようがない、気をつけようがない。

無知であることは悪ではないが、知らない事によって損したり、相手を傷つけたりすことは良くあるのかもしれない。

そういう事がないように、常に様々な情報はインプットし、自らをアップデートし続けなければならない。



今、会社の研修の中で、世の中に未だはびこる「差別」や「偏見」について勉強をしている。

国籍、人種、言語、宗教、性別、年齢、障害、病気などに起因する、様々な「差別」「偏見」が存在する。

歴史の授業があまり得意ではないので、今までピンとは来ていなかったが、それらの多くには、歴史的背景がある。


例えば、ユダヤ人である、黒人である、イスラム教徒である、女性である、LGBTQである、移民や難民である、エイズである、目や耳、手足が不自由である。
ただそれだけの理由で、見下されたり、酷い仕打ちを受けたり、誹謗中傷を受ける。
そうであるというだけで、殺されてしまうことさえある。

この世界は未だ、実はそんな血なまぐさい世の中でもあるというわけだ。



こと日本に限れば、在日韓国人の方々や、女性、障害を持った人々、お年を召した方々に対するヘイト意識が未だ根強いようだ。


「朝鮮人は国に帰れ」
「女性は働かないで家を守るべきだ」
「身障者は大人しくしていろ」
「老害は黙っていろ」

それ以外にもたくさんあるだろう。

そう考えると、男の僕としては、情けないと思う方もいるかもしれないが、
「デートの費用は男が払うべき」とか「プロポーズとか告白は男からすべき」とかこう言うのも、よく考えたら差別・偏見にあたるんじゃないかなと思った。もはやモラハラ?

一昔前ならまだしも、いまは女性も立派に社会進出している。
経済的な差にそれほど違いはないはず。
であれば不公平と言わざるを得ない。


男性は有料だけど、女性は無料、もしくは安い、というな料金体系も未だ存在する。

女性は男性を喜ばせるために存在しているわけではあるまい。
男性も女性に貢ぐために存在しているわけではない。
であれば男性は何に対して、女性よりも多く払っているのだろうか。
同じ楽しい時間を、平等に過ごしているのにもかかわらず。

反対に女性に「(女のくせに)料理もできないの?」とか
子供に「黙って大人の言うことを聞け」とか
非正規雇用の人を見下したり、学歴だったり、日本にはまだまだ差別が山のように存在する。

何も迷惑はかけていないのに、「そうである」と言うだけで嫌がらせや決めつけや見下しをするのは良くない。
その人自身をちゃんと見ていない。
勝手にカテゴリ分けして、そのカテゴリごとの偏見をあたかもその人自身のことのように言うのはダメだ。

学歴が低くても、派遣でも、立派に責任感を持って働いてて能力の高い人はたくさんいる。
子供でも大人よりしっかりしている子もいれば、男の人でも料理や家事の方が得意な人もいれば、ガンガン働いてお金を生み出すキャリアウーマンもいる。
カテゴリ的にはスペックが高くても迷惑極まりない人もいれば、社会的に高い地位にいる人が犯罪を犯すことだってある。

十人十色。人それぞれだ。

LGBTQを自覚する人が増え、様々な色の肌の人が増え、様々な宗教、人種、民族が日本に入り乱れるようになった時、そういう意味で言えば後進国であるこの国はどうなるのだろうか。

日本国民の多くが、こういうところに特に疑問を持たず、甘んじて受け入れている現状では、こういう話はまだ早いのかもしれないが、確実に波は来ている。

日本を代表するスポーツ選手や芸能界を見てみても、もう始まっていると言わざるを得ないが、今後もっともっと増えてくる。


もう無知であり続ける事はできない。

この国は拳銃が使えないだけまだマシなのかもしれないが。
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ブログ更新情報。 [お知らせ]

最近ブログの仕様が変わって、自動的にSNSへ更新情報がシェアされなくなってしまった。

それをすっかり忘れてブログを更新していたので、この場を借りて新しい投稿をシェアします。

●2019年1月22日更新「マスカレード・ホテル

●2019年1月23日更新「ドラゴンボール超・ブロリー

●2019年1月31日更新「教育方針2019


興味があればどうぞ。
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教育方針2019 [独り言]

年を重ねてきたからか、夢を持てなくなったからか。

最近、自分のこれまでに学び得たものをどう後世に伝えればいいかを考える。


人にものを教える、伝える、というのは一つの高等技術と言っていいが、しかし誰も教えてはくれない。
遠慮し過ぎれば、何も伝わらないし、かと言って押し付けすぎると嫌がられるし、パワハラと言われかねない。

僕の座右の銘は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だ。
何事もバランスが大事だし、「ちょうどいい所」を見極めるのが大事だと思う。

でも結局、一発でそれを見定めるのは事実上不可能で、数々の失敗を重ねた末にそれが見えてくる。




最近よく考えるのは、子供の育て方、教育法。
彼女も結婚する予定も、教師になる予定もないんだけど、でも一番大切というか、一人の人間の人間性の土台というか根幹に大きな影響を与える部分なのは間違い無いと思う。


もし万が一、人の親になることがあれば、気をつけたい事を書いておこうと思う。
少なくとも現時点ではそう思うという事。
当事者になれば、感情移入が「過ぎ」て、意見が変わるかもしれないが、そこは「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だ。

親では無い今の時点の冷静な状態で考えておくことは重要だと思った。
いつの日か当事者になった時にまた見直すのも面白いだろう。

すでに子育てをされている方にとっては、なんて思慮と想像力の足らない事だ、と思うかもしれないが、少なくとも現時点では本気でこう思っているので、一意見として温かい目で読んでいただけると幸いだ。

まずは箇条書きで。

・主従関係、上下関係は作らない。
・相談役に徹する。
・人生の舵は本人に握らせる。
・必ずreason whyを明確に伝える。
・必ずreason whyを聞いてあげる。
・居場所を作る、存在を肯定する。

こんな所かな。
以下に少し詳しく説明を書く。


・主従関係、上下関係は作らない。
自分の親もそうだったし、世の中に多いと思うのが、親と子で上下関係、酷い場合は主従関係を築いてしまうパターンだ。
我が子に全く興味がないってのもそれはそれで問題だが、しかし干渉や圧力、束縛が「過ぎる」のもどうかと思う。
これは学校においての先生と生徒、職場においての上司と部下の関係における勘違いにも同様に言える事だと思うが、それは今は関係ないので控える。

確かに子供は何もわからないし、親が面倒を見てあげないといけない。
知識や経験の差も歴然だ。

しかし同じ人間だ。
子供は親の所有物でも、ペットでも無い。
一人の人間だ。

たまに「育ててやってるんだから感謝しろ」的な親がいるが、そもそもお前が自分の都合や選択の上で、勝手に産み落としたのだろうが。
子が自然にそう思うならまだしも、親は子にそれを言える立場にはない。

さらに「親は子をしっかり躾けるべき」という考え方もあると思うが、「躾ける」という言い方が僕は好きではない。
本来のその言葉の意味はどうあれ、僕の中では「上位のものが下位のものを調教する」という意味に響く。すごく強い言葉だ。下手をしたらここに「上位のものに都合のいいように」という但し書きが加わるかもしれない。

生まれてから物心ついて文化的な生活ができるまでは、ある程度仕方がないのかもしれないが、親が子に施すべきなのは「教育」だ。

人として対等であるべきだし、築くべきはせめて上下関係ではなく、先輩後輩のような関係。人生の先輩という意味で。

親子だとどうしても踏み込み「過ぎ」てしまうことは多々あると思うけど、親だって子育てを通して学ぶべき事は多いはず。本来お互い様だ。

「親しき仲にも礼儀あり」と言うのはそう言うことを言っていると思うよ。

とにかく、力で押さえつけるのは危険だ。
その力が失われた時、どう転ぶか予想がつかない。

友好的に行こう。




・相談役に徹する。
・人生の舵は本人に握らせる。
この2つはまとめて書く。
「教育」の基本的なスタンスは「自分たち親、もしくは大人や導く者がいなくなっても、立派にたくましく生きていけるようにすること」だと思っている。

だから基本的に人生の舵は本人に握らせる必要があるし、親は既にある結論や常識を押し付けるのではなく、相談役に徹しアドバイスを送る程度にする。最終的な選択・決定は本人にさせるべき。

それでは失敗してしまうじゃないか。
皆さんはそう仰るかもしれないが、なぜ失敗をしてはいけないのか。

辛いこと、悲しいことを経験しないと人は前に進めない。
失敗や挫折が前に進むための足場になる。
成功体験は自信になり、前を向く活力にはなるが、それで前に進めるわけではない。
そもそも成功するためには失敗を重ねる必要がある。

と僕は考える。
もちろん誰だって失敗なんかしたくない。
だけど失敗をしないと何も学べない。
そもそも我々は、多くの先人たちの途方もない位のたくさんの過ちの上に立って生きている。

親が責任を取って尻拭いが出来るうちに、たくさん失敗をさせてあげる懐の深さが必要じゃないか。
まだ取り返しがつくうちにむしろどんどん失敗すべきだし、どうすれば成功できるのかを考えさせるべきだ。

「安心してチャレンジして来い。責任は取ってやるから。」
そう言ってあげられる親でありたい。


あとこれはイメージでしかないけど、親はGPS付きのカーナビであってはいけない気がする。
紙製の地図とか地図帳ぐらいであるべき。舵取りに合わせるなら海図か。
それくらい不便でないと子が成長しない。

GPS付きナビゲーションは便利「過ぎる」し
方角を示すだけのコンパスだけでは「及ばない」。
頼りない両親の場合、子供がしっかりしていることがよくあると思うが、程よく不便だからだろう。



一番なりたくないのは子の人生をコントロールしようとする親、できると思っている親。
親の思う「我が子の幸せ」と子本人が思う「幸せ」とは必ずしも同じではない。
優先されるべきは本人の思う幸せだし、その結果悪い事が起きてもそれは本人の責任でしょ。
見てる方は辛いのかもしれないけど、子が死ぬまで親はずっと寄り添えるわけじゃないんだから。
困難を乗り越える強い心を育てなければ。






・必ずreason whyを明確に伝える。
・必ずreason whyを聞いてあげる。
これもまとめて書くが、「とにかく従え!」という親も多いかもしれない。
「親の言うことに口答えするな」とかね。

日本は「悟る」文化だ。
それはそれで悪くはないと思う。
海外で「日本人はエスパーか何かなのかい?」と褒め言葉(?)をもらった経験もある。
何も言っていないのに、してほしいことがわかる。それは素晴らしい能力だ。

何も説明しなくても、何故なのかは、合ってるか合っていないかは別として、相手が勝手に補完してくれる。

しかしそこに甘えていないでしょうか。
結局相手が何を考えているかなど、言葉にしないとわからない。
そしてどういう意図でそういう発言、行動をしたかなんて、本人に聞かなきゃわからない。

なぜ、どうして?そこを省く人が多過ぎる。
言われた相手が「なんで?」って聞き返せればいいけど、そこに頼るな。
仮に聞いたとしてちゃんと答えるのか?
口答えするな!だろ?
黙って従え!じゃないか?

でも、変に誤解を生むくらいなら前もって理由を述べた方が早くないか?面倒くさいかもしれないけど。

それに相手は人間で、言葉が通じるはず。動物やペットじゃない。
相手を見くびりすぎだ。子供であっても一人の人間。

なぜこんなに厳しく口うるさく耳が痛いことを言うのか、きちんと説明すべき。
でないとこうこうこうなって、こうなっちゃうよ?だからこうしてね、こうしないでね。みたいな。

そこまで言ってちゃんと説明をしてるなら、その上で仮に言うこと聞いてくれなくても、最終的にその通りになれば、「ああ、言う通りだったな」「言うことを聞いておけばよかったな」って思うだろう。その先に信頼が生まれてくるはず。
そして聞く耳を持ってくれるようになるはず。

とにかく何でもかんでも一発で成功させようとし「過ぎ」なんだと思うよ。

なんども言うけど、失敗は排除するべきではない。
今すぐに立派な誰もが認める人間になれって言ったって無理でしょ。長い目で見て。辛いかもしれないけど。子を産んで育てるって決めたのはあなた自身なんだから。



そして何かしでかした時とか、人生の先輩から見て何か間違っているなとか納得できない、わからないなと思った時、単純に叱ったり否定するのではなく、まずは「何故そう考えたのか」と言うのは聞き出してあげるべきだ。
それによって印象が変わる可能性もあるし、どう言う思考回路なのかを知ることもできる。その上でアドバイスもできる。やっぱり間違ってる、受け入れられないなら徹底的に議論する。


そこで、どうしてなのか、なぜなのか、というプレゼン能力を鍛えることもできる。
それって今の時代一番重要な能力の一つでしょ。

極端な話、人を殺したって、世界中を納得させられるプレゼンができれば、刑は軽くなったり、免れたりするかもしれない。正当防衛だってそう言う事でしょ?

まぁそれはいいとして、reason whyを必ず示す。論理的に説明をする。説明をさせる。
これはその場でも必要な事だし、将来的にも必要な事だと考える。


とにかく家族会議じゃないけど、議論する場を設けてあげたい。
自分の意見を主張すること。
自分と違う考え方があるということ。
親も間違えるし絶対じゃないということ。

それを教えてあげたい。

思春期になると、そういうのは嫌がるかもしれないが、思春期をどう過ごしたかが、その後の人生、人間性、人格、価値観に及ぼす影響は甚大だと思っている。




・居場所を作る、存在を肯定する。
これが結局一番重要じゃないかな。
甘やかすという意味じゃない。何しても全部肯定するという意味じゃない。
ただ生まれてきたことに対して、自分は生まれてきて良かったのだろうか、なんて本人が疑問に思うようなことはさせたくない。

正直、僕は家に居場所はなかった。少なくとも僕はそう感じていた。
自分の部屋が出来てからはそことトイレとお風呂以外は常に何かに怯えていた。
親の前では、例えば可愛い子犬とか赤ちゃんとかが目の前いて、可愛いなと思ってもそれを表現できなかったし、笑いかけることすらできなかった。自然に振る舞う事ができないのだ。
何故だかは未だにわからないし、多分今も出来ない。

それがベースだから、外に出ても他人の目が極端に気になる子だった。
ただ周りに合わせるだけで、自分の主張や感情は押し殺した。
だから誰にも認められなかったし、肯定もされることもなかった。
そんな自分に価値を感じたことなどない。

自分が嫌い。

せめて家族だけでも味方であれば違ったかもしれないが、基本否定されたし、家でも外と似たようなもんだった。


実際にそれができたかどうかは置いといて、10代は「親に怒られない」様にすることに注力し、20代は「親に困らせない」様にしてきた。

それでなんの問題があるって言うかもしれないが、僕にとってはそれが苦痛で重荷だった。
その為に色々犠牲にしてきた。


だから少なくとも自分の子にはそういう思いをして欲しくない。
自分自身を好きになってもらいたい。
親と子である前に、良好な人間関係を築いていける様に努力していきたい。

そう考えた時に、以上に書いた事が必要かなと考えた次第であります。



未来の俺よ。
何でもかんでも否定するな。
犯罪だったり、人に迷惑をかけること以外はやらせてあげればいいと思う。
多様性を認めろ。
トライアンドエラーで本人が自分で学ばなければならない。
不安があれば、こうこうこういう不安や危険がある、とただ伝えればいい。
それをどう受け取るかは本人次第だ。

親のすべきことは
未成年のうちは、責任を取ることと、本人の思う幸せに導くこと。
成人してからは、見守ることと、節目節目や壁にぶち当たった時に頼ってきてくれるような緊急避難所や相談所であること。
それにはそれまでにどれだけの信頼関係が築けるかが重要。
そして一人の人間として認めて、信じてあげる事が大事。

これはお前の物語ではない。

彼・彼女の物語だ。


アーロンさんばりに「これはお前の物語だ!」と言ってあげたい。


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ドランゴンボール超・ブロリー [感想・レビュー]

ここ1週間で映画を2本見た。

「ドラゴンボール超・ブロリー」
マスカレード・ホテル

上記の2本だ。

いずれも絶賛公開中なので、あまり多くはかけないけれど面白かった。

今回はドラゴンボールに関してだけど、一言で言うと

「やりたい放題だな!!」

って感じ。
これ作ったスタッフは楽しかっただろうなって思う。

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「神と神」「復活のF」そして今回の「ブロリー」は原作者・鳥山明さんが脚本を書いてるそうなので、本来の鳥山明節が惜しみなく出てる。

「本来の」と書いたのは、元々ギャグ漫画家だからだ。
ドラゴンボールみたいなバトル漫画もいいけど、元々は「アラレちゃん」とかああ言うのを描くのが好きな人らしいから、そういう意味で「本来の」鳥山明節。

え、フリーザさんそんなキャラだっけ?みたいな。
敵味方問わずコミカルで、善と悪という区切りでは最早なくなって居るのが、確かに最近のバトル漫画の風潮でもある。




ブロリーと言えば、映画オリジナルキャラクターで、
3度もZ戦士達を絶望に叩き落とした、
最強で最凶で、悟空(というかカカロット)と因縁の深い悪魔、伝説の超サイヤ人。

数々のドラゴンボールのキャラクターの中で、3本の指に入るくらい好きなキャラだ。

しかし原作やアニメ本編には登場しないので、正史扱いの今回の映画に登場するブロリーが正式なブロリーということになった。

なので今後二度とあの悪魔なブロリーは関連作品からも姿を消すだろうから、彼は名実ともに死んでしまったが、新たなターザン的な野生児ブロリーもまぁ悪くは無い。

神やら赤髪やら青髪やらインフレが著しい中、ブロリー最強伝説が守られたことは素直にとっても嬉しい。
※合体・ポタラ・フュージョンは除く


今回の映画で素晴らしいところは、戦いっぱなし。
ほぼ全編バトル。そしてちょいちょい挟まれるギャグパート。
1時間に渡ってブロリーにボコられるフリーザとか笑笑
通常から超サイヤ人、超サイヤ人ゴット、超サイヤ人ブルーと変身する描写も丁寧。
フリーザとサイヤ人の関係性、惑星ベジータ及びサイヤ人滅亡をより詳しく描写している所とか。
バーダック一家のこととか。
とにかく見所しかない。

バトル中でかかるBGMがクセが強くて若干うざいけど笑


是非見てください。
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