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周りを変えるより、自分を変える。 [独り言]

ご無沙汰しております。おかずのりです。

日本に帰ってきて早1年が経とうとしております。ヨーロッパが恋しいような、日本はやっぱり落ち着くような、そんな微妙な心境であります。

年齢のせいか、今のちょうどいい環境のせいか、今は「何処かまた新しい土地に旅立ちたい」と言うような欲求は身を潜めています。



数年前まではあんなにいろんなところに行きたくて仕方なかったのにね。
もう少し経つとまた欲求が現れてくるのだろうか。



今、第二の青春が終わろうとしている。

生まれてから高校卒業まで18年、第一の青春を地元の福井県で過ごし、それから富山、東京、北海道、沖縄、ロンドン、長野、東京と、34歳現在まで、実に16年もの間、約人生の半分を使って様々な土地に出向いて、いろんな人に出会って、自分の居場所を探してきたけど、結局見つからなかった。



全てを環境のせいにして、場所のせいにして、外部のせいにしてきた。
何処で何をしていようが、きちんと自分が自分と向き合わなければ、決して解決しない問題だった。

問題は常に、自分の内側にあった。


場所や環境を変えることでは解決できなかったけど、この答えにたどり着くには必要な旅だったと思う。いろんなことにチャレンジして、いろんなところに行って、いろんな人たちに出会って、たくさんの価値観に触れて、なんだか一周して、また同じところに戻ってきたような気がする。


しかし、全てずっと同じではない。
常に変化していく。
全てが時代とともに変化していく。
常に自分をよりよくUpdateしていかないといけない。

変えられるのは自分自身だけ。
他人を変えようとしても無理。他人を批評して否定しても、何も意味がない。
ただ争いが起きるだけ。


変えると言っても、妥協して合わせるんじゃなくて、前向きな変化。

過去も未来もなく、人生とは今この瞬間という「点」の連続なので、今この瞬間に、いかに最高の点を打つことができるかが大事。


そうだ。その通り。
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あのボタン。 [独り言]

※少しセンシティブな内容が含まれている可能性があります。時間・場所を選んで読み進めた方がいいかもしれません。

続き


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Best friend? [独り言]

先日会社で「男女の友情は成立するか」という、よくある話になった。

ぼくの答えは「NO」
他の誰かに異性のそう言う関係の人が存在するのは否定はしないが、少なくともぼくには出来ないと言う意味でNOだった。


sexistと言われても仕方ないと思うけど、ぼくにとって、女性は女性だ。
女性である以上、性欲の対象になり得る。
そんなことより何よりも、親友とまで呼べるくらいの信頼の置ける関係性の人が異性に居るなら、何故その人と付き合わない?何故その人と結婚しないのだろうかと考えてしまう。

「恋人」と「親友」は違う、と言われてしまいそうだが、じゃあその違いは何だ?

男と女。
そういう風に単純にきっぱりと分けることができないこの時代においてはもはや「古い考え方」なのかも知れないが、強いて言えば、親族以外の他人の中で、一番親しい間柄の同性を「親友」、一番親しい間柄の異性を「恋人」と呼ぶのだとぼくは考えている。

今の時代に合わせるなら、親族以外の他人の中で、一番親しい間柄の性的嗜好の対象外の人を「親友」、一番親しい間柄の性的嗜好の対象の人を「恋人」と呼ぶわけだ。バイセクシャルの人やクィアの人たちについては、ぼくにはわからん。


そもそも「親友」とはなんだ?
なんでも話せて、その人の為なら何でもできて、ぼくの為なら何でもしてくれる人?
それは「恋人」でもいいのでは?

ぼくは基本的に「面倒くさがり」なので、「小学生の頃の友達」とか「高校の頃の友達」とか「会社の同僚」とかいちいちカテゴリ分けして、別々に時間作って会ったりするのが面倒で、全部一緒くたにしたがるし、できないならそもそも遊ばないと言う選択肢を取りがち。

もし「親友」と「恋人」が別々に存在していたら、どっちに時間を使っていいかわからなくなるので、願わくば「親友」が「恋人」だったら完璧だなと思う今日この頃です。

もし異性が「親友」だとしたら「恋人」がいた場合、いらぬ心配をかけないとも限らない。
それにこちらが「親友」だと思っていても、必ずしも相手がそう思っていなくて傷付けてしまう場合もあるかも知れない。その逆パターンは想像するだけでもツライ。
以上の理由からぼくは異性の親友は作らない。つまり「男女の友情は成立しない。」と結論付ける。



根本的に、「親友」の存在って必要なんだろうか?

ぼくは他人と深い関係を構築するのが苦手だ。
それはなぜかと考えてみた。

そして思い当たったのは家族との関係性。

親や兄弟というのは、生まれて初めて出会う他人だ。
本来はそんな彼らとのやり取りによって、他人との距離の取り方や、深い関係の作り方を学んで行くのだろう。

これはぼくの想像の域を出ないが、親族親兄弟を含めて自分以外を全て友達に置き換えるなら、親兄弟は「親友」の域に入るだろう。でもぼくの場合、彼らはその域には入っていない。

これが根本的な原因だと思われる。
ぼくは多分、それに失敗したのだ。主従関係しか学ばなかった。
主と従、それ以上でも以下でもなかった。

ぼくにとって基本的に他人との関係構築の根幹をなすのは主従関係。
主になるか、従になるか。
何れにせよ、必ずどこかに主従関係を作らなければ関係を保てない。

主従関係を作れなければ、次第に関係は希薄になり自然消滅する。



とはいえそんなぼくにも例外的に「友達」はいる。
例え何年、何十年会わなくたって彼らは変わらず「友達」でいてくれている。
それはもう「親友」と呼んで差し支えないのではないか。

つまりぼくとって友達には「親友」しか存在しないのだ。
無論、その中に女の人はいない。



主従関係しか築けず、愛し方も愛され方も知らないぼくは、毎日シックハックしながらも、今は楽しく生きている。
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Steering your life by yourself. [独り言]

再び東京で暮らし始めて1ヶ月が経ちました。
同じく新しい仕事を初めて1ヶ月経ちました。
It's been 1 month since I started to live in Tokyo and work for new job.

今のところ、悪くないって感じですかね。
家も家賃は高いけど、まぁ東京だし、東京ドームの近くだし、こんなもんでしょ。
It's not bad so far. The rent is expensive though. I know it's because Tokyo, which is the capital of Japan, and I live very central of it.

仕事は「こんなホワイト企業あって良いのか」って感じ。
デスクワークはやった事ないけど、こんなもんなの?音楽聞きながら、お菓子食べながら、お喋りしながら、座ってるだけで(もちろん仕事はしてるけど)、1日が終わる。
残業なんて一切無いし。なんてこった。仕事モードに一切ならない。
My job is really good. I just work on PC, sitting on a chair, listenning to music, having snacks and talking with my colleagues all day. No overtime and just go straight home after work. What the fuck is this? I never feel that I am working like I did before.

これでお金貰えるなんて信じられません。
やる事やってれば、過剰に頑張る必要なんて無い。
競う必要も無いし、周りの目に脅えて無駄に頑張る必要もない。
昼休憩がちゃんと一時間貰える、と言うかみんなでUNOとかしてて一時間で終わった試しが無い笑
I can't believe that I can get money just doing like that. I don't need to push myself too hard. I don't have to compete with the others. I never be frightened in the eyes of my colleagues and bosses, any more. They are very friendly and we do UNO at the lunch break everyday. The funny thing is that we often go over an hour break.


今流行りの「異世界に転生した」みたいな感じです。
日本人が好きな「無駄」が徹底的に排除されて合理化されている。外資って凄い。
I feel like I'm in another world I never know. I like it. It wouldn't happen if I belonged to general Japanese company. How fantastic foreign companies are.


なんとか上手くやっていけそうな気がします。
親や学校の先生達に教わった時代遅れの方法では絶対辿り着けなかったところに僕は立っている。初めて自分の人生に手応えを感じている。これは俺の物語だ。もう誰にも奪わせはしない。
I think it's going to be better and better. I wouldn't get to this place by the old way that my parents and teachers taught me. We have to keep changing and challenging to get to right place. Finally, I got a strong confidence to steer my life. This is my story. I will never let anyone take it over from me again. Never.
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Unknowing [独り言]

知らない事は気にしようがない、気をつけようがない。

無知であることは悪ではないが、知らない事によって損したり、相手を傷つけたりすことは良くあるのかもしれない。

そういう事がないように、常に様々な情報はインプットし、自らをアップデートし続けなければならない。



今、会社の研修の中で、世の中に未だはびこる「差別」や「偏見」について勉強をしている。

国籍、人種、言語、宗教、性別、年齢、障害、病気などに起因する、様々な「差別」「偏見」が存在する。

歴史の授業があまり得意ではないので、今までピンとは来ていなかったが、それらの多くには、歴史的背景がある。


例えば、ユダヤ人である、黒人である、イスラム教徒である、女性である、LGBTQである、移民や難民である、エイズである、目や耳、手足が不自由である。
ただそれだけの理由で、見下されたり、酷い仕打ちを受けたり、誹謗中傷を受ける。
そうであるというだけで、殺されてしまうことさえある。

この世界は未だ、実はそんな血なまぐさい世の中でもあるというわけだ。



こと日本に限れば、在日韓国人の方々や、女性、障害を持った人々、お年を召した方々に対するヘイト意識が未だ根強いようだ。


「朝鮮人は国に帰れ」
「女性は働かないで家を守るべきだ」
「身障者は大人しくしていろ」
「老害は黙っていろ」

それ以外にもたくさんあるだろう。

そう考えると、男の僕としては、情けないと思う方もいるかもしれないが、
「デートの費用は男が払うべき」とか「プロポーズとか告白は男からすべき」とかこう言うのも、よく考えたら差別・偏見にあたるんじゃないかなと思った。もはやモラハラ?

一昔前ならまだしも、いまは女性も立派に社会進出している。
経済的な差にそれほど違いはないはず。
であれば不公平と言わざるを得ない。


男性は有料だけど、女性は無料、もしくは安い、というな料金体系も未だ存在する。

女性は男性を喜ばせるために存在しているわけではあるまい。
男性も女性に貢ぐために存在しているわけではない。
であれば男性は何に対して、女性よりも多く払っているのだろうか。
同じ楽しい時間を、平等に過ごしているのにもかかわらず。

反対に女性に「(女のくせに)料理もできないの?」とか
子供に「黙って大人の言うことを聞け」とか
非正規雇用の人を見下したり、学歴だったり、日本にはまだまだ差別が山のように存在する。

何も迷惑はかけていないのに、「そうである」と言うだけで嫌がらせや決めつけや見下しをするのは良くない。
その人自身をちゃんと見ていない。
勝手にカテゴリ分けして、そのカテゴリごとの偏見をあたかもその人自身のことのように言うのはダメだ。

学歴が低くても、派遣でも、立派に責任感を持って働いてて能力の高い人はたくさんいる。
子供でも大人よりしっかりしている子もいれば、男の人でも料理や家事の方が得意な人もいれば、ガンガン働いてお金を生み出すキャリアウーマンもいる。
カテゴリ的にはスペックが高くても迷惑極まりない人もいれば、社会的に高い地位にいる人が犯罪を犯すことだってある。

十人十色。人それぞれだ。

LGBTQを自覚する人が増え、様々な色の肌の人が増え、様々な宗教、人種、民族が日本に入り乱れるようになった時、そういう意味で言えば後進国であるこの国はどうなるのだろうか。

日本国民の多くが、こういうところに特に疑問を持たず、甘んじて受け入れている現状では、こういう話はまだ早いのかもしれないが、確実に波は来ている。

日本を代表するスポーツ選手や芸能界を見てみても、もう始まっていると言わざるを得ないが、今後もっともっと増えてくる。


もう無知であり続ける事はできない。

この国は拳銃が使えないだけまだマシなのかもしれないが。
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教育方針2019 [独り言]

年を重ねてきたからか、夢を持てなくなったからか。

最近、自分のこれまでに学び得たものをどう後世に伝えればいいかを考える。


人にものを教える、伝える、というのは一つの高等技術と言っていいが、しかし誰も教えてはくれない。
遠慮し過ぎれば、何も伝わらないし、かと言って押し付けすぎると嫌がられるし、パワハラと言われかねない。

僕の座右の銘は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だ。
何事もバランスが大事だし、「ちょうどいい所」を見極めるのが大事だと思う。

でも結局、一発でそれを見定めるのは事実上不可能で、数々の失敗を重ねた末にそれが見えてくる。




最近よく考えるのは、子供の育て方、教育法。
彼女も結婚する予定も、教師になる予定もないんだけど、でも一番大切というか、一人の人間の人間性の土台というか根幹に大きな影響を与える部分なのは間違い無いと思う。


もし万が一、人の親になることがあれば、気をつけたい事を書いておこうと思う。
少なくとも現時点ではそう思うという事。
当事者になれば、感情移入が「過ぎ」て、意見が変わるかもしれないが、そこは「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だ。

親では無い今の時点の冷静な状態で考えておくことは重要だと思った。
いつの日か当事者になった時にまた見直すのも面白いだろう。

すでに子育てをされている方にとっては、なんて思慮と想像力の足らない事だ、と思うかもしれないが、少なくとも現時点では本気でこう思っているので、一意見として温かい目で読んでいただけると幸いだ。

まずは箇条書きで。

・主従関係、上下関係は作らない。
・相談役に徹する。
・人生の舵は本人に握らせる。
・必ずreason whyを明確に伝える。
・必ずreason whyを聞いてあげる。
・居場所を作る、存在を肯定する。

こんな所かな。
以下に少し詳しく説明を書く。


・主従関係、上下関係は作らない。
自分の親もそうだったし、世の中に多いと思うのが、親と子で上下関係、酷い場合は主従関係を築いてしまうパターンだ。
我が子に全く興味がないってのもそれはそれで問題だが、しかし干渉や圧力、束縛が「過ぎる」のもどうかと思う。
これは学校においての先生と生徒、職場においての上司と部下の関係における勘違いにも同様に言える事だと思うが、それは今は関係ないので控える。

確かに子供は何もわからないし、親が面倒を見てあげないといけない。
知識や経験の差も歴然だ。

しかし同じ人間だ。
子供は親の所有物でも、ペットでも無い。
一人の人間だ。

たまに「育ててやってるんだから感謝しろ」的な親がいるが、そもそもお前が自分の都合や選択の上で、勝手に産み落としたのだろうが。
子が自然にそう思うならまだしも、親は子にそれを言える立場にはない。

さらに「親は子をしっかり躾けるべき」という考え方もあると思うが、「躾ける」という言い方が僕は好きではない。
本来のその言葉の意味はどうあれ、僕の中では「上位のものが下位のものを調教する」という意味に響く。すごく強い言葉だ。下手をしたらここに「上位のものに都合のいいように」という但し書きが加わるかもしれない。

生まれてから物心ついて文化的な生活ができるまでは、ある程度仕方がないのかもしれないが、親が子に施すべきなのは「教育」だ。

人として対等であるべきだし、築くべきはせめて上下関係ではなく、先輩後輩のような関係。人生の先輩という意味で。

親子だとどうしても踏み込み「過ぎ」てしまうことは多々あると思うけど、親だって子育てを通して学ぶべき事は多いはず。本来お互い様だ。

「親しき仲にも礼儀あり」と言うのはそう言うことを言っていると思うよ。

とにかく、力で押さえつけるのは危険だ。
その力が失われた時、どう転ぶか予想がつかない。

友好的に行こう。




・相談役に徹する。
・人生の舵は本人に握らせる。
この2つはまとめて書く。
「教育」の基本的なスタンスは「自分たち親、もしくは大人や導く者がいなくなっても、立派にたくましく生きていけるようにすること」だと思っている。

だから基本的に人生の舵は本人に握らせる必要があるし、親は既にある結論や常識を押し付けるのではなく、相談役に徹しアドバイスを送る程度にする。最終的な選択・決定は本人にさせるべき。

それでは失敗してしまうじゃないか。
皆さんはそう仰るかもしれないが、なぜ失敗をしてはいけないのか。

辛いこと、悲しいことを経験しないと人は前に進めない。
失敗や挫折が前に進むための足場になる。
成功体験は自信になり、前を向く活力にはなるが、それで前に進めるわけではない。
そもそも成功するためには失敗を重ねる必要がある。

と僕は考える。
もちろん誰だって失敗なんかしたくない。
だけど失敗をしないと何も学べない。
そもそも我々は、多くの先人たちの途方もない位のたくさんの過ちの上に立って生きている。

親が責任を取って尻拭いが出来るうちに、たくさん失敗をさせてあげる懐の深さが必要じゃないか。
まだ取り返しがつくうちにむしろどんどん失敗すべきだし、どうすれば成功できるのかを考えさせるべきだ。

「安心してチャレンジして来い。責任は取ってやるから。」
そう言ってあげられる親でありたい。


あとこれはイメージでしかないけど、親はGPS付きのカーナビであってはいけない気がする。
紙製の地図とか地図帳ぐらいであるべき。舵取りに合わせるなら海図か。
それくらい不便でないと子が成長しない。

GPS付きナビゲーションは便利「過ぎる」し
方角を示すだけのコンパスだけでは「及ばない」。
頼りない両親の場合、子供がしっかりしていることがよくあると思うが、程よく不便だからだろう。



一番なりたくないのは子の人生をコントロールしようとする親、できると思っている親。
親の思う「我が子の幸せ」と子本人が思う「幸せ」とは必ずしも同じではない。
優先されるべきは本人の思う幸せだし、その結果悪い事が起きてもそれは本人の責任でしょ。
見てる方は辛いのかもしれないけど、子が死ぬまで親はずっと寄り添えるわけじゃないんだから。
困難を乗り越える強い心を育てなければ。






・必ずreason whyを明確に伝える。
・必ずreason whyを聞いてあげる。
これもまとめて書くが、「とにかく従え!」という親も多いかもしれない。
「親の言うことに口答えするな」とかね。

日本は「悟る」文化だ。
それはそれで悪くはないと思う。
海外で「日本人はエスパーか何かなのかい?」と褒め言葉(?)をもらった経験もある。
何も言っていないのに、してほしいことがわかる。それは素晴らしい能力だ。

何も説明しなくても、何故なのかは、合ってるか合っていないかは別として、相手が勝手に補完してくれる。

しかしそこに甘えていないでしょうか。
結局相手が何を考えているかなど、言葉にしないとわからない。
そしてどういう意図でそういう発言、行動をしたかなんて、本人に聞かなきゃわからない。

なぜ、どうして?そこを省く人が多過ぎる。
言われた相手が「なんで?」って聞き返せればいいけど、そこに頼るな。
仮に聞いたとしてちゃんと答えるのか?
口答えするな!だろ?
黙って従え!じゃないか?

でも、変に誤解を生むくらいなら前もって理由を述べた方が早くないか?面倒くさいかもしれないけど。

それに相手は人間で、言葉が通じるはず。動物やペットじゃない。
相手を見くびりすぎだ。子供であっても一人の人間。

なぜこんなに厳しく口うるさく耳が痛いことを言うのか、きちんと説明すべき。
でないとこうこうこうなって、こうなっちゃうよ?だからこうしてね、こうしないでね。みたいな。

そこまで言ってちゃんと説明をしてるなら、その上で仮に言うこと聞いてくれなくても、最終的にその通りになれば、「ああ、言う通りだったな」「言うことを聞いておけばよかったな」って思うだろう。その先に信頼が生まれてくるはず。
そして聞く耳を持ってくれるようになるはず。

とにかく何でもかんでも一発で成功させようとし「過ぎ」なんだと思うよ。

なんども言うけど、失敗は排除するべきではない。
今すぐに立派な誰もが認める人間になれって言ったって無理でしょ。長い目で見て。辛いかもしれないけど。子を産んで育てるって決めたのはあなた自身なんだから。



そして何かしでかした時とか、人生の先輩から見て何か間違っているなとか納得できない、わからないなと思った時、単純に叱ったり否定するのではなく、まずは「何故そう考えたのか」と言うのは聞き出してあげるべきだ。
それによって印象が変わる可能性もあるし、どう言う思考回路なのかを知ることもできる。その上でアドバイスもできる。やっぱり間違ってる、受け入れられないなら徹底的に議論する。


そこで、どうしてなのか、なぜなのか、というプレゼン能力を鍛えることもできる。
それって今の時代一番重要な能力の一つでしょ。

極端な話、人を殺したって、世界中を納得させられるプレゼンができれば、刑は軽くなったり、免れたりするかもしれない。正当防衛だってそう言う事でしょ?

まぁそれはいいとして、reason whyを必ず示す。論理的に説明をする。説明をさせる。
これはその場でも必要な事だし、将来的にも必要な事だと考える。


とにかく家族会議じゃないけど、議論する場を設けてあげたい。
自分の意見を主張すること。
自分と違う考え方があるということ。
親も間違えるし絶対じゃないということ。

それを教えてあげたい。

思春期になると、そういうのは嫌がるかもしれないが、思春期をどう過ごしたかが、その後の人生、人間性、人格、価値観に及ぼす影響は甚大だと思っている。




・居場所を作る、存在を肯定する。
これが結局一番重要じゃないかな。
甘やかすという意味じゃない。何しても全部肯定するという意味じゃない。
ただ生まれてきたことに対して、自分は生まれてきて良かったのだろうか、なんて本人が疑問に思うようなことはさせたくない。

正直、僕は家に居場所はなかった。少なくとも僕はそう感じていた。
自分の部屋が出来てからはそことトイレとお風呂以外は常に何かに怯えていた。
親の前では、例えば可愛い子犬とか赤ちゃんとかが目の前いて、可愛いなと思ってもそれを表現できなかったし、笑いかけることすらできなかった。自然に振る舞う事ができないのだ。
何故だかは未だにわからないし、多分今も出来ない。

それがベースだから、外に出ても他人の目が極端に気になる子だった。
ただ周りに合わせるだけで、自分の主張や感情は押し殺した。
だから誰にも認められなかったし、肯定もされることもなかった。
そんな自分に価値を感じたことなどない。

自分が嫌い。

せめて家族だけでも味方であれば違ったかもしれないが、基本否定されたし、家でも外と似たようなもんだった。


実際にそれができたかどうかは置いといて、10代は「親に怒られない」様にすることに注力し、20代は「親に困らせない」様にしてきた。

それでなんの問題があるって言うかもしれないが、僕にとってはそれが苦痛で重荷だった。
その為に色々犠牲にしてきた。


だから少なくとも自分の子にはそういう思いをして欲しくない。
自分自身を好きになってもらいたい。
親と子である前に、良好な人間関係を築いていける様に努力していきたい。

そう考えた時に、以上に書いた事が必要かなと考えた次第であります。



未来の俺よ。
何でもかんでも否定するな。
犯罪だったり、人に迷惑をかけること以外はやらせてあげればいいと思う。
多様性を認めろ。
トライアンドエラーで本人が自分で学ばなければならない。
不安があれば、こうこうこういう不安や危険がある、とただ伝えればいい。
それをどう受け取るかは本人次第だ。

親のすべきことは
未成年のうちは、責任を取ることと、本人の思う幸せに導くこと。
成人してからは、見守ることと、節目節目や壁にぶち当たった時に頼ってきてくれるような緊急避難所や相談所であること。
それにはそれまでにどれだけの信頼関係が築けるかが重要。
そして一人の人間として認めて、信じてあげる事が大事。

これはお前の物語ではない。

彼・彼女の物語だ。


アーロンさんばりに「これはお前の物語だ!」と言ってあげたい。


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泥舟。 [独り言]

今なら引きこもりやニートが発生する仕組みの一つがよくわかる。
そうならざるを得ない者の気持ちがわかると言った方がいいか。

いつまでたっても子離れできない、頭のおかしいバカ親がそもそもの原因だ。
子供の人生を自分がどうにかできる、コントロールできるといつまでも思い込んでいる腐った親がそれを作り上げる。

いい加減認めろ、自分が作り上げた作品を。
このダメな息子や娘は自分が作り上げたものだと。
自分たちの教育は失敗したと。
もう悪あがきはやめとけ、みっともない。

もうどうしようもないと、ただその行く末を見守ることしかできないということを認めろ。
そして悔いろ。
過度に干渉をし、その子自身が自ら選択し自らの人生を勝ち取っていく能力を培う機会を、ことごとく奪い続けたことを。
誰かに命令されないと、自らの意思では動くことのできないポンコツ人形を作り上げてしまったことを。

よく、育てた恩とかいうが、それは産んだ方の勝手だろ。
恩着せがましいことこの上ない。

それは一人の人間である。
まずそこに敬意を払え。

親と子に上下関係などない。
確かに生まれたばかりの子は物心着くまでに親や周りの大人の助けを必要とし、その影響を多大に受けるが、だからと言って親より下等な存在でも、ましてや所有物でもない。
強いて言えば、子の方が上位の存在だろう。
新しい価値観や常識を持ち、またそれを作り出せる新しい個体という意味で。

親が子に想いを託すのは勝手だが、多くの場合それは呪いになる。
親は子の人生をダメにすることはできても、良くすることはできない。
良くするのは子自身の仕事だ。

人によってタイミングは違うかもしれないが、あるタイミングで自分の足で立ち上がって歩き出す時が来る。
その後はその子に人生の舵取りは任せるべきだ。
その後もあーでもないこーでもないと口を挟むアホで間抜けな親がいる。
あんたがたの古い物差しじゃ、もう子の人生は測れねぇんだよ。

舵取りを任せるタイミングが難しいのはわかる。
しかし遅くても大学卒業までには任せないとアカンでしょ。
正直言って中卒でいいくらい。

親が干渉すればするほど、子は歪む。
見ろ、この歪みきった姿を。
全部お前のせいだ。

俺はこの歪みを正すためだけに残りの人生を歩むことになるだろう。


それでも親は子のことを思うのは仕方のないこと。
そうかい。なら勝手に想うがいい。
そして何もできずに、我が子が闇に堕ち、沈んでいく姿を眺めればいい。
それが貴方への罰だ。

それよりもさっさと子離れして自分自身の人生を楽しめばいいだろ。
古い人間の思考回路は馬鹿馬鹿しい。

害でしかない。

俺の人生は大学3年の、ちょうど就活の時期にもう終わっている。
初めて自分から人生の舵を切ろうとしたあの時、過干渉によって舵を取り上げられた。
あの時舵取りを死守できなかった自分も当然悪いが、あのクソみたいな干渉がなければ今頃もっとマシだった。

もうこの先俺がどこで野垂れ死のうが、俺の勝手だ。
もう何の関係もいない。
黙って自分の人生見直せよ。
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結局さ... [独り言]

イギリスから帰国して数ヶ月、なんとか英語を忘れないように、独り言を英語にしてみたりしてます。

日本で改めて生活基盤を作り上げるために、とりあえず時給の高くて出費が少ない、山奥での住み込みの仕事に従事し、せっせとお金を貯めています。

まったく、何をするにでも結局お金が必要で、、、嫌になります。

さらに、お金を貯めるというのもなかなか難しいもんです。


「自分の時間を切り売りしてお金を得る」という、当たり前といえば当たり前の、今の時代主流である、従来の手段では限界があることを痛感しました。

時間給であるアルバイトの話ではなく、正社員になろうとそれはさほど変わりません。
まして昼夜身を粉にして働いて、仮にたくさんお金を稼いでもそれを使う時間がなければ、結局意味はありません。

お金はただ持っててもしょうがありません。
使わないと。


我々は自らを豊かにするために生きているはず。
そのために必要なものの一つが「お金」で、お金は使わなければ本来の価値は発揮されません。
お金は貯めるためではなく、そのお金を使って「豊かな生活を手に入れる」為のもの。



結局たくさんお金を稼いで勝つ、豊かで自由な生活を実現したければ「権利収入などの不労所得を得る」という方法以外はないんだなという結論に至りました。


権利収入とはつまり、「その権利を持っているだけで得られる収入」のことです。
例えば土地・不動産とか、株とか、著作権とか、特許とかですね。
一度手に入れてしまえば、何もしなくてもお金が流れ込んでくる。

昔僕が目指していたシンガーソングライターも広い意味で言えば、権利収入で生計を立てる職業です。
曲作って、詩を書いて、それぞれに著作権が発生して、歌が売れれば売れた分だけ印税が入ってくる。

作家さんや漫画家さんとかもそうですよね。

ユーチューバーもある意味そうかもしれません。

しかしこれは一部の人間だけが享受できる特権です。
才能がなければダメだし、技術もなければならない。
それらがあっても、さらに運がなければダメです。

土地や不動産だって、そもそもそれを購入するお金が必要だし、譲り受けるにしても地主の家の子供に生まれるか、その人たちとの人脈や信頼を築かなければならない。

誰にでも得られる権利じゃない。


昔は。



今はそうでもないみたいです。
個人でなんでもまかなえてしまう時代です。
個人でなんでもできてしまう時代です。


個人で小説も出版できるし、個人でテレビ番組も作れるし、ラジオも発信できる。
工場がなくても家で拳銃だって何だって作れる時代です。

昔に比べれば簡単に、個人で権利収入を作れる時代です。

その方法の一つとしてMLMがあります。
日本ではネズミ講とよく混同され、イメージの悪いあれです。

ちゃんと理解すれば、ネズミ講とは似て非なるものだとわかります。
根本的に発想から違います。


これに一つ挑戦してみようかなと思った次第であります。
それこそMLMといえば、世の中にはピンからキリまでありますし、中には確かに詐欺まがいのものあります。しかし間違いなく次世代のビジネスモデルなのは間違いないです。と言っても世界に目を向ければ昔からあるのですが、日本の方は毛嫌いしているので、日本にはなかなか浸透してません。


日本にもカーシェアのMLM、格安SIMのMLMなどなど、これから来そうなものもあります。
僕が今参入しているのは、少なくともア◯ウェイさんではありません。
あそこは扱ってるものに魅力を感じません。
料理とか家事はあまりしないし笑

一応宣伝しとこうかな。
興味がありませたらMLMへの理解を深めるという意味で、以下のリンクから動画をご覧ください。

この動画は、「自分には汗水垂らして長時間働くことでしか、たくさんのお金を稼ぐことができない」と思っていたかつての自分の価値観をぶち壊してくれました。

あなたの価値観もぶち壊してくれることだと思います。
ぜひ時間のあるときにゆっくりご覧ください。
↓↓クリック↓↓
事前学習動画STEP1

↓↓もしくはこちら↓↓
冒険家志望のあなたへ【1話】


どちらの動画でも構いませんので、是非見てください。
あなたの人生のターニングポイントになるかもしれません。


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Pure Blood [独り言]

体操界の暴力・パワハラ問題が連日とりだたされている。(もちろん台風や地震の被災地のこともだが。)

スポーツ界(だけに限らないが)に今だに残る、古い体制、考え方。
某コラムで読んだ受け売りだが、そもそも、「スポーツ」とは戦争や武力などとは対極の存在として生まれた。
相手を殺したり、血を流させたり、恨みや憎悪といったものを含まない。健全な形で勝敗を争うものだ。しかし悲しい事に、少なくとも日本では、軍国主義の名残か、戦前戦後の混乱の中で、スポーツの中に軍隊を模した指導法が流入、それ体操界の暴力・パワハラ問題が連日とりだたされている。(もちろん台風や地震の被災地のこともだが。)

スポーツ界に(だけに限らないが)今だに残る、古い体制、考え方。

某コラムで読んだ受け売りだが、そもそも「スポーツ」とは戦争や武力などとは対極の存在として生まれた。

相手を殺したり、血を流させたり、恨みや憎悪といったものを含まない。健全な形で勝敗を争うものだ。しかし悲しい事に、少なくとも日本では、軍国主義の名残か、戦前戦後の混乱の中で、スポーツの中に軍隊を模した指導法が流入、それがスポ根として美化され定着してしまった。つまり暴力や恐怖によって支配し、過酷な訓練を課し、負の感情を以って上から押さえつけ、無理やり言うことを聞かせ、反骨心でやる気を奮い立たせる方法だ。

それがスポーツには留まらず、学校教育、家庭でのしつけにまで広がり、「教える」と言う行為が完全に汚染された。

その方が簡単だからだ。上に立つものにとっては色々都合もいい。
こうして日本は、パワハラによってここまで這い上がって来たのだ。

仮に言っていることが正しくても、それを伝える手段はパワハラに暴力に恐怖。
上から一方的に押さえつける。

これが唯一の正しい答えだと。


その影響だろうか。
未だに、我々は「正しく在ろう」とする。

仮に、上からそれを強制してくる存在がいなくなっても。
それが正しかったかどうかは、多くの場合、後から結果以ってでしか判断できないのにもかかわらず。

しかもその「正しさ」は押し付けられたもの。


コナンさんが言う通り、真実は一つなのかもしれないが、答えは一つじゃない。
そこにたどり着く方法ですらも、一つであるはずがない。


正しいか間違っているか、って言うのも最終的には大切なのかもしれないけれど、
そういうことにこだわり過ぎずに、

自分はこう感じた。

自分はこう思う。

そうした思いはもっと前に出していいと思うし、それができる環境を作らなければならない。
確かに時間がかかるかもしれないけれど、その上で議論して理解を深め合い、共に協力してお互いに納得できる答えを探すなり、改善していけばいいんじゃないかなと思う。

早く目に見える成果を出したいのはわかるけど、
なんだか急ぎすぎな気がするよ。

この国で発生する問題のほとんどの原因は、圧倒的なコミュニケーションの不足によるものだと思う。


まぁそんなこんなでいろいろ、膿が出てドロドロでどよ〜んとしているスポーツ界に光が差した。

大坂なおみさんが、テニスのグランドスラム、4大大会のうちのひとつ、US OPENで優勝。
自身の憧れの存在を、それこそ神と崇めるほどの人を倒して。

本当におめでとうございます。

自分だったらそれほどの人を前にしたら、ビビっちゃうし、日本的に言えば、その人を立てようとしてしまうかもしれないが、ガチでぶつかって、勝ってしまうとは。

加えて、あれだけのアウェーの中で。
大抵の人間なら、耐えきれなくて、意識的にか無意識にか「空気を読んで」しまうかもしれない。


一番素晴らしいと思ったのは、大坂なおみさんはもちろんすごいんだけど、コーチの人。
そしてその指導法。

日本の全指導者、上司、人の上に立つものは見習わなければならない。

日本の従来の指導法とは対極で
信頼と信用による、指導法。

もちろんそれだけじゃないと思うけど、なんてタイムリーな話題なんだと感激してしまった。

もう、恐怖や暴力やパワハラで強制的にやらせる、そんなネガティブな方法はできない時代になった。

日本の指導者はそれしか知らなかったから、仕方ないような気もしないではないけど、今の時代、それは無能の証。

「人にものを教える」というのは一つの非常に高度なスキルだ。
資格試験が必要なほど、決して簡単なことではない。
そういうスキルを持たない人が、指導したり教育係になったりするから、言うことを聞かすのに一番簡単で手取り早い、ネガティブ方法をとる。

ここを抜本的に改革していかないとダメだと思う。




ただ気を付けないといけないのは、中にはそれを逆手にとって、というか悪意を持って利用しようとする輩の存在。
少年法を盾に凶悪犯罪を犯す青少年。
相手を貶めるため、もしくは自分の思い通りにことを進めるため、パワハラ、セクハラ、体罰をでっち上げる、もしくは大げさに言う、逆パワハラ。

これにうまく対処する方法も合わせて必要になる。



あとそろそろ日本に住む人々は意識を変えていかないといけないな、捨てないといけないなと思うのは

選民思想、というか純血主義。


前述の大坂なおみさんが、日本人か?と聞かれたら、昭和脳の私はNOと答えてしまいかねない。

昨日のサッカーの試合、日本対コスタリカに出場していた次世代の選手たちの中にも、日本人ぽくない顔の選手がちらほら見られたし、

一昔前と比べると、ハーフのタレントさんなんか格段に増えたし、そうなると一般の中にはもっといるんじゃないかと想像できる。

ひさしぶりに日本に帰って、実感したけど、日本に帰国する飛行機の乗客の半分以上がいわゆる「外国人」だったし、日本各地そこかしこにもたくさんヨーロピアンがいる。ちょっと前までは外国人といってもアジア系の人がほとんどだったのに。


もう、本当に、着実に国際化の波はやって来ている。



日本は裏から中国や韓国に乗っ取られつつある、とかいう陰謀論もたまに耳にするが、もし本当なら怖いこと。しかしそれはもしかしたら純血主義を頑なに守る人々のたわ言なのかもしれない。

がスポ根として美化され定着してしまった。つまり暴力や恐怖によって支配し、過酷な訓練を課し、負の感情を以って上から押さえつけ、無理やり言うことを聞かせ、反骨心でやる気を奮い立たせる方法だ。

それがスポーツには留まらず、教育指導、家庭でのしつけにまで広がり、「教える」と言う行為が完全に汚染された。

その方が簡単だからだ。上に立つものにとっては色々都合もいい。
こうして日本はお尻を叩かれ、パワハラによってここまで這い上がって来たのだ。

仮に言っていることが正しくても、それを伝える手段はパワハラに暴力に恐怖。
上から一方的に押さえつける。

これが唯一の正しい答えだと。


その影響だろうか。
未だに、我々は「正しく在ろう」とする。

仮に、上からそれを強制してくる存在がいなくなっても。
それが正しかったかどうかは、多くの場合、後から結果以ってでしか判断できないのにもかかわらず。


コナンさんが言う通り、真実は一つなのかもしれないが、答えは一つじゃない。
そこにたどり着く方法ですらも、一つであるはずがない。


正しいか間違っているか、って言うのも最終的には大切なのかもしれないけれど、
そういうことにこだわり過ぎずに、

自分はこう感じた。

自分はこう思う。

そうした思いはもっと前に出していいと思うし、それができる環境を作らなければならない。
確かに時間がかかるかもしれないけれど、その上で議論して理解を深め合い、共に協力してお互いに納得できる答えを探すなり、改善していけばいいんじゃないか。

なんだか急ぎすぎな気がするよ。
この国で発生する問題のほとんどの原因は、コミュニケーションの圧倒的な不足によるものだ。


まぁそんなこんなでいろいろ、膿が出てドロドロでどよ〜んとしているスポーツ界に光が差した。

大坂なおみさんのテニス、グランドスラム、4大大会のうちのひとつ、US OPEN優勝。
自身の憧れの存在を、それこそ神と崇めるほどの人を倒して。

本当におめでとうございます。

自分だったらそれほどの人を前にしたら、ビビっちゃうし、日本的に言えば、その人を立てようとしてしまうかもしれないが、ガチでぶつかって、勝ってしまうとは。

加えて、あれだけのアウェーの中で。
大抵の人間なら、耐えきれなくて、無意識に「空気を読んで」しまうかもしれない。


一番素晴らしいと思ったのは、大坂なおみさんはもちろんすごいんだけど、コーチの人。
そしてその指導法。

日本の全指導者、上司、人の上に立つものは見習わなければならない。

日本の従来の指導法とは対極で
信頼と信用による、指導法。

もちろんそれだけじゃないと思うけど、なんてタイムリーな話題なんだと感激してしまった。

もう、恐怖や暴力やパワハラで強制的にやらせる、そんなネガティブな方法はできない時代になった。
日本人はそれしか知らなかったから、仕方ないような気もしないではないけど、今の時代、それは無能の証。

「人にものを教える」というのは一つのスキル。
資格試験が必要なほど、簡単なことではない。
そういうスキルを持たない人が、指導したり教育係になったりするから、言うことを聞かすのに一番簡単で早い、ネガティブ方法をとる。

ここを抜本的に改革していかないとダメだと思う。




あとそろそろ日本に住む人々は意識を変えていかないといけないな、捨てないといけないなと思うのは

選民思想、というか純血主義。


前述の大坂なおみさんが、日本人か?と聞かれたら、昭和脳の私はNOと答えてしまいかねない。

昨日のサッカーの試合、日本対コスタリカに出場していた次世代の選手たちの中にも、日本人ぽくない顔の選手がちらほら見られたし、

一昔前と比べると、ハーフのタレントさんなんか格段に増えたし、そうなると一般の中にはもっといるんじゃないかと想像できる。

ひさしぶりに日本に帰って、実感したけど、日本に帰国する飛行機の乗客の半分以上がいわゆる「外国人」だったし、日本各地そこかしこにもたくさんヨーロピアンがいる。ちょっと前までは外国人といってもアジア系の人がほとんどだったのに。


もう、本当に、着実に国際化の波はやって来ている。



日本は裏から中国や韓国に乗っ取られつつある、とかいう陰謀論もたまに耳にするが、もし本当なら怖いこと。しかしそれはもしかしたら純血主義を頑なに守る人々のたわ言なのかもしれない。


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終わりが始まる? [独り言]

強烈な台風21号がようやく去ったと思ったら、今度は北海道でマグニチュード6.7、震度6強の地震発生。台風で関西国際空港、今回の地震で新千歳空港、日本の主要空港が2つも同時に使用不能になったりするのってかなり異常事態です。

本当に日本、沈んじゃうかも。
今年は間髪入れずに何かしら自然の猛威がやって来ている感じがする。
僕自身は8月に帰って来たばっかりなので、そう言う感覚は薄い方だとお思うけど、話を聞いているとやはり今年は異常なのは間違いなさそう。

平成最後ということで、少しバイアスがかかっているのかもしれないけれど、終末感がすごい。
毎年毎年何かしらあるのは間違いないが、今年は一つ一つの災害のクセが強い。

絶体絶命都市4Plusはまたもや絶体絶命に瀕している。息してない。


台風シーズンは、例年で言えば、まだまだ終わっていないので、今後も台風は3、4個はやって来るだろう。他の地域でまた自身が起こらないとも限らない。

そのうちまた冬が来て、また豪雪ともなれば目も当てられない。

わかる範囲で今年の災害を簡単にまとめてみました。

・平成30年9月6日 北海道胆振地(いぶり)方中東部を震源とする地震
・平成30年9月初め 台風21号
・平成30年8月下旬 台風20号
・平成30年8月初旬 台風13号
・平成30年7月 豪雨
・平成30年7月7日 千葉県東方沖を震源とする地震
・平成30年7月初め 台風12号
・平成30年6月18日 大阪符北部を震源とする地震
・平成30年6月17日 群馬県南部を震源とする地震
・平成30年5月25日 長野県北部を震源とする地震
・平成30年5月12日 長野県北部を震源とする地震
・平成30年4月14日 根室半島南東沖を震源とする地震
・平成30年4月11日 大分県中津市の土砂災害
・平成30年4月9日 島根県西部を震源とする地震
・平成30年3月1日 西表島付近を震源とする地震
・平成30年2月初旬 大雪

などなど
もしかしたら件数的に言えば、毎年似たり寄ったりなのかもしれないけれども、今年は1件1件のインパクトが強い印象。



なんだかんだ日本が「物理的に」沈むことはきっとないだろうが、これだけの被害が続けば「経済的に」は本当に沈んでしまうかもしれない。

トドメと言わんばかりに、もし、富士山が噴火したり、近いうちに来る来ると言われている東海地震、首都直下型地震が来たら、本当に日本はおしまいだ。



地震というのは、もちろんそれ自体もかなりの脅威ではあるが、「津波」だとか「土砂崩れ」だとか「道路の陥没・隆起」「液状化」などの二次災害・三次災害の方がむしろ危険で警戒すべきものなのだなと改めて感じる。

今回は直前の台風21号に伴う雨で地盤が緩んでいたところ、大地震発生ということで弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂という状態。



これだけの災害を過去にもたくさん経験しているのにもかかわらず、まだまだ防災意識は低いと思う。
日本ではどこに住んでいてもこういうリスクはあるということを改めて心に刻んで、自分の身を守る準備はもちろん、微々たるものかもしれないができる限りの支援をしていきたい。


とはいえね、いつ起こるかわからないことに備えるというのは難しい。
しかし今年に限って言えば、警戒しておくに越したことはないですよ。

無事来年を迎えるために。
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