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太陽が33。 [おいどん in London]

どうもどうも、ついに33歳になりました。なってしまいました。ゾロ目です。

だからどうだということは特にないですが、仮に僕が100歳まで生きるとしたら、人生でたった9回しかないゾロ目の一年です。なんだか特別な気がしませんか??



そんな私の記念すべき日を祝福するかのように、この時期のロンドンとしては珍しく(?)、ここ連日太陽が燦々と、サンサンと33と、照っております。

ダジャレです、どうも失礼いたしました。

どうでもいい事ですが、昔、小学生の頃に「道徳」の時間に見せられたNHK教育ドラマ「さわやか3組」を思い出しました。OP曲で「サンサンサン、さわやか3組〜♪」とか言っていたアレです。





あの頃はきっと純粋だった。

あの頃の幼い自分と、今の自分とでは、一体どれだけ変化したのだろうか。
あの頃の自分を仮にAだとして、アルファベット順に変化した自分を大まかに分けて定義していくとすると、果たして今の自分はどの辺りにいるのだろうか?

そもそも26文字じゃあ足りないかもしれないけど。
とはいえあんまり変わっていない気もする。

それこそ「夜空ノムコウ」じゃないけど、「あの頃の未来に、僕らは立っているのかな?」
その問いには確実にNOと言える。何故なら、あの頃の自分は未来のことなどこれっぽちも真剣に考えていなかったからだ!!!

今もそうだけど!!!(爆)




貧乏人がいつまでも貧乏なのは、脳の構造や思考回路が貧乏になるように出来ているからだ。


的な話を聞いたことがある。
じゃあどうしようもないじゃん!って話なんだけど、僕の理解ではその脳の構造や思考回路というのはどうやら自分で変えられるみたいだ。



例えが適切かどうかは自信がないけど、いわゆる「慣性の法則」的な感じ?
「川の流れ」と言った方が良いかも?

「貧乏である」という状態がその人にとっては「普通」なのだ。
そして人は「慣れ」るし、無意識に「安定」を求める。

その流れから脱しようとしても、自動的に、無意識的に、半強制的に、「貧乏である」という「普通」の状態を維持しようという力が発生する。

直進している車を急に、例えば直角に右や左へ曲げることは難しい。
川の流れを変えるには、かなりの労力が必要。

重力がある以上、それに逆らって空を飛び続けることは難しい。

なんだか良くわからなくなってきたけど、自分の個人的な具体例を挙げてみると、

出不精な自分の思考回路

今日は休みだ→外は天気がいい→外に出て何かした方がいい→ラングエッジエクスチェンジに行こう→やっぱりめんどくさい(重力)→仕事で疲れてるし、外は暑いだろう→家でゆっくりした方がいい→うん、そうしよう。その方がいい。



出不精である自分は、その出不精な状態から脱したい!
だから何かきっかけを無理くり作って外に出ようと一度は思う。
しかし別にそれは義務ではないし、家でダラダラすることの心地よさを知ってしまっている。
外に出ても何かドラマチックな、期待しているような展開がある可能性は低い、徒労で終わる。
だったら面白そうな映画とかドラマとかゲームして家で過ごした方が無難。

出不精な状態に慣れてしまっていて、それが普通で、安定している。
だからいつまで経っても出不精のまま。

一方、休みの日に家でじっとしていられないし、スケジュールが予定で埋まってないと不安!なんて人は全く逆の思考回路なんだろう。


毎日仕事をしているうちは、週6だって週7だって連続で1日12時間以上働いてもへっちゃらだけど、仕事がない状態が1、2ヶ月続いて慣れて安定してしまうと、週3、4で1日たった4時間仕事するのもだるいし疲れる。



まぁ「慣れ」と「安定」、つまり習慣化だ。それさえ出来て仕舞えばなんだってできるということだ。
その習慣化が一番難しい所なんだけど。


出不精を直したければ、無理くりにでも外に出続けるしかない。習慣化されて安定するまで。

ま、昔から言われてることで、大して真新しいことでもないけれど。


ただやりたい事とやるべき事を一致させるのは難しい。
英語を使う機会を少しでも多くしたい、それはやるべき事だ。
しかしその為には基本的に外に出ないといけないけど、出不精の自分としては家でゆっくりしたい、これがやりたい事。


やりたいけどそれは犯罪。
やるべき事だけど、絶対にやりたくない。
極端な例ね。

出不精な自分をAとすると、社交的で外交的なBの自分になるためには、自分の欲求に素直に従っていてはダメだ。それはAであることを継続する事だ。やりたくない事、めんどくさい事、Aの自分なら絶対にやらない事をし、選択しないような事を選択し続けるのだ。

お金を貯めたいのに、一向にお金が貯まらない、という人は考え方や日々の行動パターンがそうさせているのかもしれないので、普段しない事をしてみると良いかもしれない。自分の心に逆らってみる。そしたら良くも悪くも変化は訪れるはず。


頭ではわかってるけど、いざ実行に移すとなると難しい。
毎回さ、誕生日の度に、年が明ける度に、こうやって仰々しく決意をブログに書き記しておきながら、その成果はあまりにも乏しい。。。




とはいえ、最初に「変えたい」と願った最初の自分Aからは幾分か変化はしているとは思う。Eくらいには。
ロンドンに来る前と今とでは随分と変わったのは確か。

英語もいくらかマシになったし、そのおかげで物怖じもしなくなった。
周りの目もあまり気にしなくなったし、あえて空気を読まないという技術も身につけた。こっちの世界では空気を読めば読むほど損だから(個人的な経験則だけど)。また空気を読まない人ばかりなので、我慢したり相手に委ねるのもまた損の元なので、しっかり自分の主張をする事も覚えた。

極端な例でいうと、狭い通路にそれを塞ぐように立っている人が居たとしたら、「ここを通りたい」と意思を口に出して主張しないと、永遠に通れない。こちらの存在に気がつきさえしない。通りたそうにしているこちらに気がついて道を開けるなんてことはまずないと思った方がいい。


ほんとに別世界なんだなと今でも思う。
よくこんなんで世の中成り立ってるよな。そして心が広い。日本人なら絶対キレるし、面と向かって言わないにしろ絶対裏でボロクソ言われるだろって事をしても、“Sorry”って言えば “No worry, it’s alright” で片付く、嫌味なく。ごめんで済んだら警察いらんわ!!なんてことはない。

それに比べて、自分はなんて心が狭いんだろうと、しばしば思う。
反面彼らは、いやいやそんな事でそんなにキレる?!っていう事もあるけど。

良くも悪くも単純というかわかり易いというか、刹那的というか。カラッとしてる。根に持つなんて事もないんじゃないかなあんまり。
我慢とかあまりせず、何かあれば本人に直接、歯に絹着せぬ物言いができるからこそ成り立つ世界なんだなとしみじみと感じる。



いつものように、何が言いたいのかよくわからなくなったところで締めとしよう。

この先何がどうなるかわからないけど、兎に角頑張ります。
得た事として一番大きいのは、何が良くて何が悪くて、何が成功で何が失敗かを決めるのは最終的には自分の主観。
一般的には成功と言われるような人生を歩んでいる人でも、本人からしたら失敗と捉えているという事もあるかもしれないし、一般的には明らかに失敗で、もうこの人の人生詰んでるだろって思われるような人でも、本人が幸せなら成功だろう。
日本に住む人々は、その「一般的には」という事にとらわれ“過ぎている”気がする。そんな社会に再び戻る事になる事は、一抹の、いやけっこう深刻に不安ではあるが、ま、それすらもどうでもいい。主観が大事。



とにもかくにも

これからも、やりたい事とやるべき事が一致している最終形態アルファベットZ(ゼータ)の自分に向けて邁進いたします!

自分自身が変わったかどうかを観測する為のリーディング・シュタイナーが欲しい。
過去を変える事は出来ないけれど、今の自分の行動を変え、選択を変え、未来を変える事はできる。
目指せZ世界線。
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