タイムマシンはない。 [沖縄の大っきな輪。]
そう、タイムマシンなどない。
それは誰もが知っている。改めて僕が言う必要はないくらいに。
もっとも、どこぞの研究機関が秘密裏に開発しているのかもしれないが。
僕にだってまぁ人並みに後悔はある。
あの時こうしていれば、出来ることならあのころに戻りたい。
あの頃の自分にこう言ってやりたい。
そう思うことはある。
しかし、それは叶わない。
タイムマシンなどない。
本当にそうだろうか。
そう僕は今日思った。
大学進学を間近に控えたある若者に、メールでこう問われた。
「大学生活ってどうでした?大学生のうちにしておいた方がいい事はありますか?」
僕はすぐ返信することをためらい、しばらく考えることにした。
大学と一口に言っても、さまざまある。
ありすぎる。
大学に行く目的から、大学の学科学部の種類に至るまで多岐にわたる。
勉学をより高度に専門的に学ぶところであるので、個人差がありすぎて一概には言えないからだ。
とりあえず自分の大学生活を振り返る。
いろいろ思い出す。
楽しかったこと、嬉しかったこと、もちろん悲しい事や辛い事失敗したことや後悔していること、それらが4年間に詰まっている。
そのどれもが今の自分にとって必要なことであり、良い糧になっている。
…はず。
思春期を超えて、「自分」というものがある程度出来上がって、自分の生きるこの世の中の姿がそれまでよりもはっきりと認識できるようになってから初めて味わう新生活。
初めての一人暮らし、両親と言う後ろ盾を失って、自由にできるという解放感と、すべて自分でやらないといけないというめんどくささや責任感、自立というもの。
すべてがより新鮮で、新しくこの世にまた生まれ落ちたような感覚。
なんつーかドラマで言えばシーズン2みたいな?感じ。
高卒で就職したとしても同じことを感じるかもしれないけど。
だからこれから起こることに変に構えないほうがいいんじゃないかと思った。
アレしなきゃコレしなきゃっていう風に最初から何かの型にハマってしまうよりはただ真っ白な状態で飛び込んだ方がいいのかもしれない。
無論何か目指すものが先にあって入った大学なら、それを無駄にしないように計画的に段取り良く目標に向かって行かなければいけないと思うけど、大学で経験することに一つも無駄などないと僕は思いました。
その方が面白いし。
他人事だと思って無責任極まりない…笑
とかなんとかいうようなことを歩きながら考えていました。
すると住宅地に差し掛かったところで、あるお家の庭で小学生くらいの子たちが5、6人でボールを使って遊んでいました。
僕は最初何をしているのかなと、無意識にその遊びに名前をつけようとしました。
バスケットボール?ドッジボール?バレーボール?サッカー?
我々大人はその未知の「行為」に対してすぐ名前や定義をつけて安心しようとします。
しかしそれは、ただ本当に単純に「ボールを使って遊んでいる」としか形容しがたいものであり、しかもったったそれだけの行為で、この上ないくらい楽しそうに嬉しそうに幸せそうに笑い合っている。
それを見てなぜか少し悔しさを覚えました。
しかし同時に、近頃大人たちと比べても遜色がないくらい様々なしがらみを抱えてしまっている幼い子供たちが増えて来ているように思われるこの世の中で、そんな光景を見られたことはある意味救いでもありました。
多分僕達にはもう、そんなことは出来やしない。
いや、やろうと思えば誰でもいつでも実際はできるのでしょうが、それを許さない何かがこの社会には存在します。
しかし大学生ならまだできる気がします。
それができる最後のチャンスなのではないでしょうか。
就職してしまえば社会にたちまち絡めとられます。
しかし大学生はそれまでの猶予期間かもしれません。
「大学生活は人生の夏休み」と言った方がいるみたいですが、何とも言い得て妙な表現ではありませんか。
逃げないで自分の心に正直に、そしてすべてを真正面から受け止めろ。
その準備をしろ。
そう言ってあげたいと思います。
例えば、親からこうしろと言われたからとか、恋人に嫌われたくないからとか、他人の為に、自分以外の人間の意向に沿ってやるべきことの為に生きるのではなく、自分の心にただ正直に、心の赴くままにやりたい事をする、チャレンジする。深く考えすぎずに飛び込む。
仮に失敗しても間違っても取り返しが利くうちに。
これが僕の後悔であり、多分それができたであろう最後のチャンスは、きっと大学生活だったんじゃないかなと思います。
といっても僕自身はまだまだこれからもチャレンジすることはやめないし、戦っていくつもり。
あの時できなかったから、今やっている。
そういう人生もありだよね。
だけどもちろん時期が早いに越したことがないんだよ。
きっとこれが僕の役割。
タイムマシンはないから、あのころに戻ってやり直すことはできないし、あの頃の自分にアドバイスすることもできない。
けれどまさしく今、あの頃の自分と同じ年齢の子達や、あの頃の自分と同じ悩みを抱える子たちには代わりにそのアドバイスを送ることができるし、背中を押したり手助けしてあげることはできる。
タイムマシンはないが、似たようなことは今でもできる。
ただ相手が自分じゃないというだけで。
僕の未来は他ならぬ僕だけのものだけど、僕の過去や経験やそこから導き出された答えは僕だけのものではない。
あの子たちにはあの頃の僕に出来なかったことを出来るようになってほしいし、僕を超えていってほしい。
ああ、これが親の気分なのかな。
しかし忘れてはいけないのは、彼らと僕とは同じ人間ではないということ。強制はいけない。
あくまでも僕はきっかけや機会を与えて気付かせてあげるだけ。
その先は彼らなりの考えや人生があるから、僕のそれとは違うものになるだろうし、違う答えを出すことだってあるだろう。
何度も言うがタイムマシンはない。
しかしだからこそ託すのだ。
それは誰もが知っている。改めて僕が言う必要はないくらいに。
もっとも、どこぞの研究機関が秘密裏に開発しているのかもしれないが。
僕にだってまぁ人並みに後悔はある。
あの時こうしていれば、出来ることならあのころに戻りたい。
あの頃の自分にこう言ってやりたい。
そう思うことはある。
しかし、それは叶わない。
タイムマシンなどない。
本当にそうだろうか。
そう僕は今日思った。
大学進学を間近に控えたある若者に、メールでこう問われた。
「大学生活ってどうでした?大学生のうちにしておいた方がいい事はありますか?」
僕はすぐ返信することをためらい、しばらく考えることにした。
大学と一口に言っても、さまざまある。
ありすぎる。
大学に行く目的から、大学の学科学部の種類に至るまで多岐にわたる。
勉学をより高度に専門的に学ぶところであるので、個人差がありすぎて一概には言えないからだ。
とりあえず自分の大学生活を振り返る。
いろいろ思い出す。
楽しかったこと、嬉しかったこと、もちろん悲しい事や辛い事失敗したことや後悔していること、それらが4年間に詰まっている。
そのどれもが今の自分にとって必要なことであり、良い糧になっている。
…はず。
思春期を超えて、「自分」というものがある程度出来上がって、自分の生きるこの世の中の姿がそれまでよりもはっきりと認識できるようになってから初めて味わう新生活。
初めての一人暮らし、両親と言う後ろ盾を失って、自由にできるという解放感と、すべて自分でやらないといけないというめんどくささや責任感、自立というもの。
すべてがより新鮮で、新しくこの世にまた生まれ落ちたような感覚。
なんつーかドラマで言えばシーズン2みたいな?感じ。
高卒で就職したとしても同じことを感じるかもしれないけど。
だからこれから起こることに変に構えないほうがいいんじゃないかと思った。
アレしなきゃコレしなきゃっていう風に最初から何かの型にハマってしまうよりはただ真っ白な状態で飛び込んだ方がいいのかもしれない。
無論何か目指すものが先にあって入った大学なら、それを無駄にしないように計画的に段取り良く目標に向かって行かなければいけないと思うけど、大学で経験することに一つも無駄などないと僕は思いました。
その方が面白いし。
他人事だと思って無責任極まりない…笑
とかなんとかいうようなことを歩きながら考えていました。
すると住宅地に差し掛かったところで、あるお家の庭で小学生くらいの子たちが5、6人でボールを使って遊んでいました。
僕は最初何をしているのかなと、無意識にその遊びに名前をつけようとしました。
バスケットボール?ドッジボール?バレーボール?サッカー?
我々大人はその未知の「行為」に対してすぐ名前や定義をつけて安心しようとします。
しかしそれは、ただ本当に単純に「ボールを使って遊んでいる」としか形容しがたいものであり、しかもったったそれだけの行為で、この上ないくらい楽しそうに嬉しそうに幸せそうに笑い合っている。
それを見てなぜか少し悔しさを覚えました。
しかし同時に、近頃大人たちと比べても遜色がないくらい様々なしがらみを抱えてしまっている幼い子供たちが増えて来ているように思われるこの世の中で、そんな光景を見られたことはある意味救いでもありました。
多分僕達にはもう、そんなことは出来やしない。
いや、やろうと思えば誰でもいつでも実際はできるのでしょうが、それを許さない何かがこの社会には存在します。
しかし大学生ならまだできる気がします。
それができる最後のチャンスなのではないでしょうか。
就職してしまえば社会にたちまち絡めとられます。
しかし大学生はそれまでの猶予期間かもしれません。
「大学生活は人生の夏休み」と言った方がいるみたいですが、何とも言い得て妙な表現ではありませんか。
逃げないで自分の心に正直に、そしてすべてを真正面から受け止めろ。
その準備をしろ。
そう言ってあげたいと思います。
例えば、親からこうしろと言われたからとか、恋人に嫌われたくないからとか、他人の為に、自分以外の人間の意向に沿ってやるべきことの為に生きるのではなく、自分の心にただ正直に、心の赴くままにやりたい事をする、チャレンジする。深く考えすぎずに飛び込む。
仮に失敗しても間違っても取り返しが利くうちに。
これが僕の後悔であり、多分それができたであろう最後のチャンスは、きっと大学生活だったんじゃないかなと思います。
といっても僕自身はまだまだこれからもチャレンジすることはやめないし、戦っていくつもり。
あの時できなかったから、今やっている。
そういう人生もありだよね。
だけどもちろん時期が早いに越したことがないんだよ。
きっとこれが僕の役割。
タイムマシンはないから、あのころに戻ってやり直すことはできないし、あの頃の自分にアドバイスすることもできない。
けれどまさしく今、あの頃の自分と同じ年齢の子達や、あの頃の自分と同じ悩みを抱える子たちには代わりにそのアドバイスを送ることができるし、背中を押したり手助けしてあげることはできる。
タイムマシンはないが、似たようなことは今でもできる。
ただ相手が自分じゃないというだけで。
僕の未来は他ならぬ僕だけのものだけど、僕の過去や経験やそこから導き出された答えは僕だけのものではない。
あの子たちにはあの頃の僕に出来なかったことを出来るようになってほしいし、僕を超えていってほしい。
ああ、これが親の気分なのかな。
しかし忘れてはいけないのは、彼らと僕とは同じ人間ではないということ。強制はいけない。
あくまでも僕はきっかけや機会を与えて気付かせてあげるだけ。
その先は彼らなりの考えや人生があるから、僕のそれとは違うものになるだろうし、違う答えを出すことだってあるだろう。
何度も言うがタイムマシンはない。
しかしだからこそ託すのだ。
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