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第1次パパイヤ大戦。 [沖縄の大っきな輪。]

みなさんは「パパイヤ」と聞いて何を思い浮かべますか?

野菜ですか?フルーツですか?


僕は真っ先にフルーツのパパイヤを思い浮かべます。
つーかそれしかないでしょ。野菜なわけないじゃん。



…と思いきや、実は野菜に分類される「パパイヤ」もございます。
「パパイヤ」はどうやら2種類あるみたいです。
飲食店に働いていながら、沖縄に住んでいながら、お恥ずかしながら今日の今日まで知りませんでした。

青パパイヤと言って、沖縄ではよく炒め物(イリチー)に使うらしく、むしろ「パパイヤっていったら野菜でしょ」って感じらしいです。

本州ではあまりなじみのない(と思われる)野菜なので全然知りませんでした。
パパイヤのフリット(揚げ物)を食べたお客さまともそういう話になって、馴染みがない、知らなかったってことで話が合ったので、本州では見かけません。たぶん間違いないです!(自信)

パパイヤはフルーツってイメージですよね?ね?


ちなみに(前も書いたかもしれませんが)シチューと言えば「白色」らしいです、沖縄では。
シチューは茶色だろ普通、って言っても通じません。





最初にパパイヤと名乗ったのは野菜の方?フルーツの方?
元祖はどっちだ?著作権はどっちにある?

気になりますね~。
これは下手したら戦争が勃発しますよ?

パパイヤは野菜だ派とフルーツに決まってるだろ派の血を血で洗う骨肉の争い。

パパ、嫌!なんてダジャレをかましてる場合ではありません。
(パパイヤなんてこのダジャレを言う為だけにあると思っていた時期が僕にもありました。)



だってそうでしょ?
例えばキリスト教と一口に言ったって、同じ神様の同じ教えを信仰しているはずなのにもかかわらず、大きく分けて「カトリック」「プロテスタント」「正教会」と3つの教派に分かれてしまっていてその間で戦争がおこったりしてる。詳しくは存じ上げませんが。

そして我々は大きくとらえれば同じ人間、同じ地球人であるのに国家間や民族間、宗教間での凄惨な争いを繰り返しているではないですか。


であれば自分のパパイヤが否定され、我こそがパパイヤだと言い張る者が出てくれば、パパイヤが争いの火種となってもおかしくはない!




まったく、真の平和とはいつやってくるのだろうか。








あ、でもなんか、分かっちゃった気がする。
なぜ真の平和がやってこないのか。

それは、じゃあ「真の平和」って何?って聞かれたときに誰も具体的に答えられないからじゃないかな?
たとえ答えられたとしても、答えた人によって違うとか。

「自由」だってそう。
「平等」だってそう。
「幸せ」だってそう。
「夢」だってそう。
「愛」だってそう。

みんながそれを求めてるのに、必死に手を伸ばしているのに届かないのは多分そういうことなんじゃないかな。

僕たちは一人じゃない。お互いに常に影響を及ぼし合って邪魔し合っている。
だからこそうまく「理想」には届かない。

世の中に自分一人だけだったらきっとうまくいく。
でも一人きりだったら感じられないし、そもそも求める必要もないよな。



一人じゃないからこそそれらを求め、一人じゃないからゆえに叶わない。
人間て、変な生き物。





パパイヤの話からとんでもない方向へ行ってしまいそうなので、この辺でやめにします。
おやすみなさい。
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500円の缶コーヒー [沖縄の大っきな輪。]

例えば、最寄りの自動販売機に500円もする缶コーヒーが売っていたら、果たして買うだろうか?

明らかに高い

たかが缶コーヒーの為に500円も出せる人間はそうはいない。
だいたいの人は、缶コーヒーが飲みたければ隣に並んでいる100円前後の缶コーヒーのボタンを押すだろう。購入するのはよほどの物好きか、罰ゲームか、あくなき缶コーヒー探究者のみだろう。



しかし、何かの気の迷いで、購入して飲んでみたとする。
するとどうだろう。

この世のものとは思えないくらい、めちゃくちゃおいしいコーヒーだったとしよう。
このときこの缶コーヒーの、500円という値段に対する評価は変わっているのではないだろうか。

500円でこの味が楽しめるならむしろ安い。
下手をしたら、1,000円出してもいい、と言う人もいるかもしれない。



逆に普通の缶コーヒーと変わらない味、もしくはそれ以下だったとしたら二度と購入したいと思う人間はいないだろう。
それは最初の一杯でボッタくろうという、人間の好奇心につけこんだ悪意に満ちた商品でしかなく、人によっては自動販売機を破壊してしまいたくなるほどの怒りに駆られることだろう。


そうでなくともコーヒーか嫌いな人にとっては、たとえそれがたった50円の缶コーヒーだとしてもなんの興味も引かれないだろう。



職場の自動販売機に200円で売っているレッドブル。
これが本当の意味で「翼をさずけ」てくれて、それこそ空を自由に飛べるとするならば、毎日でも、いや一日に何回でもその200円という金額を出しても惜しくはないだろう。




このように人間の価値判断基準は非常に主観的で、人によって様々だ。






続き...


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2万円事件。 [沖縄の大っきな輪。]

次のニュースです。

3日夜20時ごろ、私ことカズSOUNDさんが自らの務める某リゾート内のBBQテラスで、ある権力者の義理の息子と思われる方からの2万円のチップをもらい損ねるという事件が発生しました。

僕は事の経緯の把握を急ぐとともに、事件と事故の両面を視野に入れて捜査を進めており、当時の状況を詳しく知る者がいないか確認を行っております。




もらい損ねた…。


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パンプキンヘッド。 [沖縄の大っきな輪。]

10月。

うちのお店(ホテル全体?)も今年はなんだかハロウィンに力を入れているみたいで、業者まで呼んで店内を装飾してまして、カボチャがいっぱいでなんだか賑やかな見た目うるさい感じになってます笑

個人的にハロウィンなんてあまり馴染みがないけど、洋食レストランなんで致し方なし。


そういえば、うちのホテルの名前と「カボチャ」って似てるよなぁ、と思う今日この頃です。





しかしまぁ、心のなかのモヤモヤは募るばかりで、とうとう台風まで呼んでしまったようです(只今台風18号接近中!!)


この先愚痴。。


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最善の選択。 [沖縄の大っきな輪。]

人々は選択を迫られた時、必死に迷い、あらゆる可能性を検討した上で、最善だと思う選択肢を選ぶ。

そうやって最善の選択を延々と繰り返した末に立っている僕たちは、最良の人生を歩んでいるはず。



それなのに時々

「もしあの時こうしていれば」

と思うことがある。

何故だろうか?
あんなに悩んで最善の選択をしてきたはずなのに。

今思い返せば……


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総力戦。 [沖縄の大っきな輪。]

常に我々人類は、争いの中で自らを高め進化してきた。

相手に負けまいと己が力のすべてを出し切り、追い抜き追い抜かれ切磋琢磨し、それこそ時にはスポーツのような健全さや崇高さを発揮する場合さえある。
しかし最終的にはどちらかが勝ち、どちらかが負ける。
最終的に相手より1歩でも前に出たものが勝利を手にするのだ。

お互いに個人的な恨みなどはない。
が、しかし負けるわけにはいかないのだ。

このたび我々は大きな1歩を踏み出す。
この1歩は奴らの追随を許さない大きな1歩となるだろう。
この1歩によって我々の勝利は揺るがぬものとなった。

我々はついに手に入れたのだ、この一進一退の状況を打破する画期的な力を。
初めて目にした時は恐怖さえ覚えた。
人類はなんというものを作り上げてしまったのかと。
これは悪魔の力だ。少なくとも奴らにとってはそうに違いない。
だが勝利の為には我々は躊躇等はしていられない。
必要ならば悪魔にであろうとその魂を売り渡そうではないか。

さぁ、とくと見るがよい!
これが悪魔の力、アリの巣コロリ「つぶジェルスプレー」だ!!!

image.jpg


こいつの引き金を引けばこの争いは終わる。
悪魔の吐息ともいうべき、噴射される甘い蜜の誘惑には歴戦の勇士となれど抗う術はない。

夜が明けるころには黒い闇は取り除かれ、壁の色が希望の色、すなわち純白だったということを改めて思い出す日が来るであろう。

~ブリーフィング~


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真犯人。 [沖縄の大っきな輪。]

ああー、くそ忌々しい。

あのコンビニ、いつもいつも紙パックのカフェオレを買ったのに、ストローが付いてない。
どうやって飲めっちゅうねん。


「ストロー付けてください。」

と言わない、学習能力の無い俺も悪い。


が、言おうと中身を確認した時に限ってついていたりする。


カップ麺買ってお箸付いて無い時もたまにある。
3分後に味わう絶望は計り知れない。




いちいち対応した店員の顔なんか覚えてない。
しかし犯人は誰だ?

いつもレジにいるのは決まった3人。

仕事出来なさそうなメガネと仕事出来そうなメガネ、そしておっちゃん。

どうせ出来なさそうなメガネだろうなと思っていたんだけど、真犯人が判明した。



真犯人は、出来そうなメガネ。

クソ!貴様か!!
騙された!

仕事出来なさそうなメガネ君がちゃんと仕事出来ているのに、仕事出来そうなメガネがちゃんと仕事できてないなんてたち悪いわ、ややこしい!!

見かけに騙されてはいけませんよ皆さん。
一見仕事出来そうなメガネに見えても実は仕事できないメガネだということは多いにあり得るということです!!



関係ないけど、いい加減弁当が横に、というか斜めになってしまわないコンビニ袋開発してほしいよね全く。
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幾年月。 [沖縄の大っきな輪。]

最近さ、BBQテラスにシフトを入れられることが多くてさ、バーテンダーどこ行ったんだよって感じなんだけどさ、まぁそれはいいんだけどさ、その営業・運営に関してもたくさん、たくさん言いたいことはあるんだけどさ、それもまぁ置いておいてさ、営業終了後お客様がお肉を焼く網が乗っかっている釜(?)を綺麗に洗うんですよ、せっせとね。

その部品のなかにさ「放熱板」っていう亀の甲羅みたいな形のものがあるのさ。
こんなの↓
image.jpg

もともとは写真のような綺麗な、それこそ亀の甲羅みたい形をしているのですが、物によっては、と言うかそのほとんどが、

image.jpg

凹んでいたり、破れていたり、


image.jpg

ひしゃげてしまっている。


頑固タワシでゴシゴシと油汚れを落としながら思う。

なぜ彼らはこうなってしまったのだろうか?



単なる経年劣化よるものか、はたまた熱によるものなのか、もしくはその両方か。

いずれにしても長い年月の間に徐々に徐々に変化して行ったのだろう。



ご苦労様です。

と心のなかで労をねぎらいながら洗う内にこう思った。

なぜ僕はこうも歪んでしまったのだろう。


昔はさ、Mっぽいって、ぶっちゃけドMでしょ?とかって言われてきたのに、今ではドSだと陰口を叩かれるようになってしまった。

自分でもわかる位最近感じ悪いし。

息を吸うのすら、息を吐くのすら躊躇うくらい遠慮がちな少年だったのにさ。
そんな自分が大嫌いで、変わろうとし続けた結果がこれ。

生きるの向いてねー。



ま、仕事上は構わないよ、なんと思われようが。
真剣にやってて余裕もなくなれば口も悪るくなりゃぶっきら棒にもなるわぃ。
それが良い成果に繋がればどう思われたっていい。


でも最近さ、OFFの時にまでそんな自分が侵食してきている。
近頃ON・OFFの切り替えが上手くない。
仕事終わってもそんな自分が抜け切らない。



そういう時は整理整頓。
引き出しのなかとか、洋服タンスの中とか、自分の心を整えるように。





あ、タンスも引き出しも無いや今住んでるとこには……σ^_^;
どないしょ?
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太陽か月か。 [沖縄の大っきな輪。]

そう問われれば、僕は「月だ」と答える。


仮に、僕が輝いているとするならばそれは周りの人々のおかげだ。
太陽のような温かいご厚意や、ご指導を受けているから、今の自分が有る。

そう思うからだ。


性格上でも基本受け身的なので、月だと言える。

僕はピッチャーではなく、バッターだ。
誰かがボールを投げてくれなければ僕の持ち味は発揮できない。

僕はオフェンスではなく、ディフェンスだ。
誰かが攻めて来てくれなければ、僕は役割を果たせない。

そういう意味でも僕は自身のことを「月だ」と思っている。




ところが先日、ある人に「君は太陽になれる素質がある。」と言われた。

「しかし、自分を信じきれないところがあるから、今のままでは無理」とも言われた。


たまにいるんだよな。
初対面なのに、一目見ただけでその人のことがだいたい解ってしまうようなニュータイプみたいな人が。

最近はBarを干されてしまった代わりに、ビーチサイドのカフェテラスによく派遣される。
そこにお客様としていらっしゃったのが、そのニュータイプおばさんだ。(New Type Obasan略してNTO)

小一時間話をしたのだが、耳の痛い事をグサグサと言われましたよ。
そういう人って決まって手相が分かるんだよな。

僕のことをはじめとして、そのNTOの波乱万丈で過酷な半生、これから世の中は、世界はどうなっていくのか等々。

結論として、使っているようで使えていない「五感」をフルに使って物事を感じて表現していくことが大事ということと、人間どんなに絶望してもどんな目にあっても、命さえあれば後々どうとでもなるということ。
そう考えると僕の抱えている悩みなんてどうでもいい些細なことなんだということ。





太陽になれば、その輝きや温かさで近寄ってくる人間もいれば、その眩しさや暑さで離れていく人間もいるだろう。今周りにいる人間が皆いなくなったとしてもそれは仕方のない事。また新しい関係が出来上がるから心配ない。

そんな取るに足らない事を気にして、本来持っているはずの輝きを抑えたり曇らせたり消してしまうのは本当に馬鹿げたことなのだ。






差し当たって今…


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左様なら、さようなら。 [沖縄の大っきな輪。]

どうやら、「接客」を単なる「ルーチンワーク」「単純作業」と感じている人達にとって、「接客」を「即興のパフォーマンス」「即席のエンターテイメント」と考えている僕のような人間は目障りらしい。


僕だって、誰とでも楽しく会話ができるわけじゃない。
レストラン業務をする際は、基本話ができそうなゲストとしか喋らない。
子連れのお客様が一番話しかけやすいからよく狙っている。

しかしBAR業務の際はそうはいかない。
カウンターに座るお客様は基本的にコミュニケーションを求めている。
それがどんな人だろうと会話をしなければならない。
話の内容がなんだろうと会話しなければならない。
お酒に詳しい人が来たら一発でボロが出るけど、出来なくても出来るように見せないといけない。
仮に無知な未熟者だったとしても、博識でベテラン風に見せないといけない。

どれだけのプレッシャーに晒されながら仕事をしなければならないと思っているんだ。
もしそう見えないというのであれば、そう見せているからだ。
それも一つの技術だ。

毎日同じでないお客様の対応をするんだ、いつも通りになんていかないしイレギュラーの連続だ。

ワインのボトルを開けるのもパフォーマンス。
ワイングラスに注ぐのもエンターテイメント。
バッシングやテーブルセッティング、果ては歩き方に至るまで、そのおもてなしの空間を作り上げるための演出だ。

我々は思い出の一部になる。
クレーム出さないのは当たり前。

お客様の事前期待を超えることで「感動」をしてもらって初めて、我々は仕事をしたと言って良い。
そのために必死こいてアドリブ効かせて、その時々の状況に応じたお客様参加型のエンターテイメント空間を即興で作り出すのが我々の仕事なのだ。


レシピ通りドリンク作って、バッシングして、洗い物するだけならそれこそ誰でもできるさ。
しかし、そんな単なる作業で収まっていて良い訳は断じて無い。





というのが僕がこれまでの人生で学び感じ取って来た事だったんだけど、それが暑苦しいんだって。息苦しいんだって。

僕はそんなに皆さんに迷惑をかけていたのか。
気付かなくてごめんなさい。

なんか馬鹿らしくなって来たわ。あはははh


接客ではなく、作業としての仕事をしてくれと。
なるほど左様でございますか、それならばさようなら。
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