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Fireworks!! [あいさつ]

日本時間から9時間遅れて、こちらもようやく年が明けました。
おめでとうございます。

日本の皆様はもう初夢はご覧になったでしょうか??
私はこれからです。
不思議ですね。


こちらロンドンは年末年始という感覚は日本ほどなく、皆さんクリスマスに全力を使い果たしているので、普通の平日といった感じです。
聞くところによると新年になった瞬間だけ花火で盛り上がるくらいで、結構あっさりしているという事でした。
それ故多くの人は旅行に出かけて、その旅先で新年を過ごすらしいのです。

なのでまぁ、花火くらい日本でもあるし、きっと混雑するだろうし、行き帰りもめんどくさいので次の機会でいいかな、と自宅での年越しでした。


いつも通り、19時くらいに夕飯を済ませて(一応お蕎麦を食べました)、あとはまったり映画を見たりして過ごしてました。
そろそろ年が明けるかという頃に、小腹がすいてきたので、もう一度蕎麦を食べようとお湯を沸かしていたところ、外がなんだか騒がしい。
人の叫び声と、破裂音が断続的に聞こえてきます。

まさか銃撃戦?テロ!?


なーんて事は全く思わず(最近頻繁に日本大使館からテロ警戒の注意勧告メールが来ますけれど)、気の早い連中が個人的に花火でもして騒いでいるんだろうと思いました。

しかし、もうそろそろ年が明ける頃合いなので、自分の住んでいるところからでもどこぞでやってる花火が見られるかもしれないとふと頭をよぎり、火を止めて、先ほどの騒音の原因を確かめるついでに外に出ました。


すると、先ほどの破裂音など比にならないほどの爆発音がそこかしこから聞こえるではありませんか。
ちょうど住んでいるところの隣に、遮るものがないとても大きなだだっ広い原っぱ(公園)があるで行ってみました。
小高くなっているところに、沢山の人だかりが見えたので近づいてみます。

そこに近づくにつれ、それまで音しか聞こえなかったものの正体が空に打ち上がっているのが見えました。
ひときわ歓声が大きくなったのを聞いて、時計を見てみると12時を回っていました。
さらに花火の勢いは増して、自分の向いていた方向以外からも花火が上がっていることに気がつきました。

本当にそこら中。
360度どの方向を向いても花火が見えます。
「どこか」でやっているんだろうと思っていた花火は「至る所」で行われていました。
個人的にやっていたであろうものも含めると、きっとロンドン中どこにいても花火は見られたんじゃないかと思います。

日本では、どこかしらの会場に集まって、誰かがやってくれている花火をただ眺める受動的なものですが、こちらではもっと能動的に、自分たちで楽しむものという感覚なんでしょうか。それも結構本格的に打ち上げるやつ。
もう、その考え方というか、価値観の根本的な違いに改めて感心してしまいました。



正直、ロンドンに来てこの半年弱の間で、欧米の方々と触れ合って来て、特に仕事に向き合う姿勢とか、他人との関わり方とか、まぁ私が日本人だからというのは大いにあるとは思いますが、日本人の方が「人として」優れているんじゃないかと感じることが多々あります。
英国といえば「紳士」をイメージされる方も多いと思いますが、もし仮に文句の付けようのない完璧な「紳士的」な人がいるとしたら、それは日本人の中にこそいるのではないか、とさえ思うほどです。

こちらの方々はより欲望に忠実というか、野性的というか動物的というか、良くいえば人間味に溢れています。自分の感情に嘘はつかないですし、日本人のように空気を読んだり、相手の立場になって考える、といったような事は苦手で、悪くいえば自己中心的な感覚を持っているように感じます。
「紳士的」に見えるのは、単に愛想がいいのと「レディーファースト」という半ば形骸化した(とはいえ廃れてはいない)文化があるからだと思います。日本は古くから男尊女卑、亭主関白、夫の3歩後ろを歩くのが妻ですから真逆ですね。

日本人は「道徳」というものが学校の一科目になるくらい、そういう意味ではより社会的で、「理性」で己の感情を抑えることのできる、動物とは一線を画した「人間的」な人種で、個の利益より全体の利益を優先します。
日本にもし、唯一足りないと思われる「レディーファースト」という概念が根づきさえすれば、「紳士」という称号は日本人のものになるはずだと、ここイギリスという国に来て、その思いを強くしました。
まぁ現在の日本は、男子が自らの意思で譲る前に、草食化して女子に押しのけられてしまってはいますが。



しかしながら、今回の新年を祝う花火の様子を見ると、こういうところは我々日本人も見習わないといけないなとも思います。
日本人は思いやりがあって、一生懸命で、相手の立場になって物事を考えられる一方で、やっぱりどこか逃げ腰で他人任せなところがあります。
リーダーになりたがらないというか、目立ちたくないというか。
自分が目立つことが、自分の意見を通すことが、誰かの不利益になってしまうかもしれないというところまで考えすぎて遠慮し合っている。
その隙間を縫って、そんなことは一切気にしない一部の人間がいいところだけを持って行ってしまっているような、そんな感じ。


こっちの人はそんなの御構い無しに、なんでも「自分たちの物」にしてしまう。
時にはそのせいで「過激な争い」に発展することもあるとは思いますが、ある意味平等というかフェアで、弱肉強食?
自然界の淘汰のルールに逆らっていません。

年越しのイベントもクリスマスも、日本人は誰かがやってるものに乗っかるようなイメージですが、こちらの人々は自分でイベントを開催する、もしくは誰かのやっているイベントも自分のものとして楽しめる、もっと言えば私物化し乗っ取ってしまうようなイメージ。

あくまでもイメージですよイメージ、個人的な笑

私のブログのタイトルに絡めて言えば、いついかなる状況でも自分たちを主人公にできる、そんな力を持っているように感じます。
こちらの人々の人生のどこを切り取っても、ドラマ一本作れそうな気さえして来ます。

日本人には、というか少なくとも私にはない力だと思います。
私はこういう力を身につけたくてこんな遠い国まで来たのかもしれません。


なんだか年明け初っ端から、よくわからないことを書きました。
2017年もよくわからない年になるんでしょうね笑

花火のように一花咲かせてみたいとは思います。


それでは改めて、あけましておめでとうございます。
こんな私ではありますが、今年もよろしくお願いいたします。
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